グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス
Cn. Manlius L.f. A.n. Capitolinus Imperiosus
出生不明
死没不明
出身階級パトリキ
氏族マンリウス氏族
官職
執政官(紀元前359年、紀元前357年)
監察官(紀元前351年)
テンプレートを表示
グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス(ラテン語: Gnaeus Manlius Capitolinus Imperiosus、生没年不詳)は紀元前4世紀の共和政ローマの政治家。紀元前359年と紀元前357年に執政官(コンスル)を、紀元前351年に監察官(ケンソル)を務めた。 インペリオススはパトリキ(貴族)であるマンリウス氏族の出身である。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はアウルスである。 紀元前359年に執政官に就任、同僚執政官はプレブス(平民)のマルクス・ポピッリウス・ラエナスであった。この年に、インペリオススとラナエスは、ローマに夜襲をかけてきたティブル軍を撃退している[1]。 紀元前357年にインペリオススは二度目の執政官に就任。同僚のプレブス執政官はガイウス・マルキウス・ルティルスであった。インペリオススはファルスキ(en 紀元前351年、インペリオススは監察官(ケンソル)に就任するが、同僚監察官は前回の執政官就任時と同じくルティルスであった。ルティルスはプレブス出身者としては初の監察官であった。 紀元前345年にアウルンキがローマ領土を襲撃するが、元老院はルキウス・フリウス・カミッルスを独裁官(ディクタトル)に任命、カミッルスはインペリオススをマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)に指名した。アウルンキは短期間で撃退された[3]。
出自
経歴
脚注^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 12, 1 - 4.
^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 16, 7 - 8.
公職
先代
マルクス・ファビウス・アンブストゥス
ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルス執政官
同僚:マルクス・ポピッリウス・ラエナス
紀元前359年次代
ガイウス・ファビウス・アンブストゥス
ガイウス・プラウティウス・プロクルス
先代
ガイウス・ファビウス・アンブストゥス
ガイウス・プラウティウス・プロクルス執政官
同僚:ガイウス・マルキウス・ルティルス
紀元前357年次代
マルクス・ファビウス・アンブストゥス II
マルクス・ポピッリウス・ラエナス II
先代
マルクス・ファビウス・アンブストゥス
紀元前358年監察官
同僚:ガイウス・マルキウス・ルティルス
紀元前351年次代
ルキウス・コルネリウス・スキピオ
プブリウス・コルネリウス・スキピオ
紀元前340年