グティ
現役時代 (レアル・マドリード) のグティ (2008年)
名前
本名ホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス
Jose Maria Gutierrez Hernandez
ラテン文字GUTI
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1976-10-31) 1976年10月31日(47歳)
出身地トレホン・デ・アルドス
身長183cm
体重78kg
選手情報
ポジションMF(OMF、CMF)
利き足左足
ユース
1986-1999 レアル・マドリード
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1994-1995 レアル・マドリードC 12 (3)
1995-1996 レアル・マドリードB 26 (11)
1995-2010 レアル・マドリード 387 (46)
2010-2011 ベシクタシュ 23 (7)
通算448 (67)
代表歴
1995 スペイン U-184 (1)
1996-1998 スペイン U-218 (1)
1999-2005 スペイン13 (3)
監督歴
2013-2018 レアル・マドリード (ユース)
2018-2019 ベシクタシュ (アシスタント)
2019-2020 UDアルメリア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
グティ (Guti) ことホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス(Jose Maria Gutierrez Hernandez、1976年10月31日 - )はスペイン・マドリード州トレホン・デ・アルドス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者・解説者。現役時代はスペイン代表でポジションはミッドフィールダーだが、2000-01・2001-02シーズンはチーム事情によりフォワードでもプレーした。現在はDAZNのサッカー解説者を務めている。
グラウンダーの高速スルーパスを多用したゲームメークが得意で創造性に溢れるパスは見ている人間を楽しませた。またフリーキックやシュートも正確である。カンテラ時代はトップ下で毎シーズン30得点前後を記録していた[1]。 1984年にレアル・マドリードの下部組織(カンテラ)に入団した。金髪をなびかせた風貌や優雅なプレースタイルがベルント・シュスターに似ていたことから、小さい頃は「リトル・シュスター」というあだ名があった。後に、そのシュスターとは2007-2008シーズンに1シーズンではあったが選手と監督の関係になった。レアル・マドリードに入団したころはストライカーだったが、後にミッドフィールダーに転向し、1995年、ホルヘ・バルダーノ監督が率いるトップチームに初めて招集され、12月2日のセビージャFC戦でトップチームデビューした[2]。1995-96シーズンは9試合に出場して1得点を決めた。1996-97シーズンは17試合に出場し、リーガ・エスパニョーラのタイトルを獲得した。1997-98シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを掲げた。 1998-99シーズンにはトヨタカップで優勝し、シーズン途中にはMFホシコやMFフアン・カルロス・バレロンらとともにUEFA U-21欧州選手権で優勝した。この大会では背番号14を着けており、これ以来ラッキーナンバーとしてクラブでもこの背番号をつけた。1999年5月5日、クロアチア代表戦でスペイン代表デビューした。同年6月22日にスペインのテレビ司会者アランチャ・デ・ベニートと結婚、一男一女を授かるも、2009年に離婚している。 1999-2000シーズンはクラレンス・セードルフにポジションを奪われ、倒れた相手を蹴って退場になったこともあったが、ビセンテ・デル・ボスケ監督に信頼されて中盤の軸になった[2]。試合中に感情をあらわにする欠点があり、2010年までにリーグ戦だけで8度の退場処分を受けている。同シーズンには再びUEFAチャンピオンズリーグのタイトルを獲得し、自身はリーグ戦28試合に出場して6得点を決めた。2000-01シーズンはFWフェルナンド・モリエンテスが怪我で長期離脱したため、シーズンの大半の試合でフォワードとして出場し、キャリアハイの得点数(14得点)を記録した。27度目のリーグタイトルを獲得し、スーペルコパ・デ・エスパーニャでも優勝した。人口約5万人の小都市に本拠地を置くビジャレアルCFとのアウェー戦では彼らのファンに対して「田舎者」と言い放って中指を突きたて、スペイン国内すべての新聞で報じられる問題を引き起こした[2]。 2002年にFWロナウドが加入すると、FWでプレーしていたグティはポジションを奪われた。しかし、ボランチでプレーしていたイバン・エルゲラがCBへコンバートされ、守備的MFクロード・マケレレのパートナーが定まっていなかったことで、デル・ボスケ監督はグティをセンターハーフに抜擢した。このコンバートが大成功し、グティは新たなポジションを獲得。再び中盤でプレーするようになり、2度目のUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップ(2002年大会では1ゴールを決めて優勝に貢献した[3]。)のタイトルを獲得した。2004-05シーズンは過去7シーズンで初めてリーグ戦ノーゴールに終わり、このシーズンの彼のゴールは、2005年2月にスペイン代表のサンマリノ戦で挙げた1点だけだった。2005-06シーズンは公式戦を通じて43試合に出場し、リーグ戦で4ゴール、欧州カップ戦で2ゴールを挙げた。 2006年夏、ACミランからMFカカを引き抜くことを公約に掲げたラモン・カルデロンがクラブの新会長に当選したため、カカとポジションが重なるグティの将来に暗雲が漂った。彼はローカルライバルのアトレティコ・マドリードに移籍することも検討したが、結局移籍することはなく、カカもACミランに残留した。2006 FIFAワールドカップをもってジネディーヌ・ジダンが現役引退したため、2006-07シーズンは司令塔のポジションに定着し、チームで唯一違いが生み出せる選手と評価された。
経歴
レアル・マドリード