グスタボ・クエルテン
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グスタボ・クエルテン
Gustavo Kuerten


グスタボ・クエルテン
基本情報
愛称グーガ
国籍 ブラジル
出身地サンタカタリーナ州
フロリアノーポリス
生年月日 (1976-09-10) 1976年9月10日(47歳)
身長190cm
体重83kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2012年
ツアー経歴
デビュー年1995年
引退年2008年
ツアー通算28勝
シングルス20勝
ダブルス8勝
生涯通算成績466勝290敗
シングルス358勝195敗
ダブルス108勝95敗
生涯獲得賞金$14,807,000
4大大会最高成績・シングルス
全豪3回戦(2004)
全仏優勝(1997・2000・01)
全英ベスト8(1999)
全米ベスト8(1999・2001)
優勝回数3(仏3)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト8(1999)
全仏ベスト8(1998)
全英1回戦(1999・2000)
全米1回戦(1997・2003・04・07)
国別対抗戦最高成績
デビス杯ベスト4(2000)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2000年12月4日)
ダブルス38位(1997年10月13日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

グスタボ・クエルテン(Gustavo Kuerten, 1976年9月10日 - )は、ブラジルサンタカタリーナ州フロリアノーポリス出身の男子プロテニス選手。1997年2000年2001年の3度、全仏オープン男子シングルスで優勝した。ATPツアーシングルス20勝、ダブルス8勝を挙げた。身長190cm、体重83kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。「グーガ」(Guga)という愛称で呼ばれている。

全仏オープンで3度の優勝、2000年テニス・マスターズ・カップ優勝、ATPマスターズシリーズで5度の優勝と5度の準優勝を挙げるなどブラジル人テニス選手として歴代トップの成績を残した。
選手経歴

クエルテンは6歳の時から、両親と一緒にテニスを始めた。彼が9歳の時、父親がジュニアの試合の審判中に急死してしまう。1995年にプロ入りし、1996年から男子テニス国別対抗戦デビスカップブラジル代表選手に選ばれた。1996年9月のワールドグループ・プレーオフは、ブラジルホームとしてサンパウロ市内で行われ、ブラジルはオーストリアと対戦した。クエルテンはシングルス第2試合に勝ち、先輩選手のジャイミ・オンシンスと組んでダブルス第3試合にも出場した。この時、地元ブラジルの観客の応援に気を悪くしたオーストリアのペアが、最終第5セットでクエルテンたちが2-0とリードしたところ (ゲームカウント:7-6, 4-6, 6-3, 3-6, 2-0) で試合を放棄し、残るシングルス2試合も拒否する珍事が起こった[1]

1997年全仏オープンで、当時20歳だったクエルテンは、世界ランキング66位のノーシード選手であったが、当時世界最新の打ち方と言われた腰の回転を最大限に生かしたフォアハンドや、正確で鋭いバックハンドのストレートを武器にして勝ち進んだ。3回戦では1995年全仏オープン優勝者のトーマス・ムスター、準々決勝で前年優勝者のエフゲニー・カフェルニコフを破り、決勝では1993年1994年の優勝者セルジ・ブルゲラに6-3, 6-4, 6-2のストレートで勝利し、過去3人の全仏優勝者を破って初優勝を決めた。大半のプロテニス選手が白を基調としたウェアを着用していた中で、クエルテンはブラジル人が愛用するカナリア色のテニスウェアをまとい、当時のテニス界に鮮烈な印象を与えた。本人はこれほど勝ち進むとは思わなかったため、手元のウェアが足りなくなり、急遽メーカーから調達したとの逸話が残っている。現地ブラジルでは、クエルテンの全仏初優勝の報道を聞いて“即席カーニバル”のような祝賀ムードになったという。ブラジル人のテニス選手としては1960年代マリア・ブエノの活躍があったが、クエルテンは同国の男子選手として最初の4大大会シングルス優勝者になった。

それからしばらく好成績が出なかったが、2000年にキャリアの絶頂期を迎え、2000年全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たす。この時は決勝戦でマグヌス・ノーマンに6-2, 6-3, 2-6, 7-6で競り勝った。この年は世界ランキング上位8名しか出場できない男子ツアー最終戦テニス・マスターズ・カップでも、決勝でアンドレ・アガシを破って初優勝を飾った。こうしてクエルテンはマラト・サフィンを僅差で抜き、当年度の年間最終ランキング1位に輝いた。

2001年全仏オープン決勝ではアレックス・コレチャを6-7, 7-5, 6-2, 6-0で破り、2年連続3度目の優勝を飾った。全仏3勝はイワン・レンドルマッツ・ビランデルと並ぶ大会歴代4位タイ記録である。しかし、2001年末のテニス・マスターズ・カップでは予選のラウンドロビン(4人の総当たり戦)で敗退したため、世界ランキング1位の座をレイトン・ヒューイットに奪われた。

1990年代半ばから、男子プロテニス界には芝・クレーなどテニスコートのサーフェスごとにスペシャリストが多く出るようになったが、クエルテンは全仏オープン3勝が物語るように、クレーコートで無類の強さを発揮してきた。他のサーフェスの4大大会では、ウィンブルドン選手権では1999年全米オープンでは1999年2001年の2度ベスト8進出がある。

クエルテンは長らく臀部の怪我に悩まされ、ツアー戦線から離脱していた。2007年11月7日には、生まれつき脳性麻痺を患っていた末の弟を亡くしている。そしてついに、彼は2008年限りでの現役引退を表明した。最後の大会に選んだ2008年全仏オープンでは、シングルス1回戦で第18シードのポール=アンリ・マチューに3-6, 2-6, 4-6のストレートで敗退した。

クエルテンは2012年に国際テニス殿堂入りを果たした[2]2016年リオ五輪では聖火ランナーも務めた。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 29回 (20勝9敗)

大会グレード
グランドスラム (3-0)
テニス・マスターズ・カップ (1-0)
ATPマスターズシリーズ (5-5)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (4-1)
ATPインターナショナルシリーズ (7?3)

サーフェス別タイトル
ハード (6?4)
クレー (14-4)
芝 (0-0)
カーペット (0-1)

結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
優勝1.1997年6月8日 全仏オープンクレー セルジ・ブルゲラ6-3, 6-4, 6-2
準優勝1.1997年6月15日 ボローニャクレー フェリックス・マンティーリャ6-4, 2-6, 1-6


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