グウィネズ_(ウェールズ)
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Gwynedd
グウィネズ

地理
面積
- 合計
- % 水域ウェールズのプリンシパル・エリア中2位
2,548 km2
? %
州都カーナーヴォン
ISO 3166-2GB-GWN
郵便コード00NC
統計
人口:
 
人口密度
 
118,400人(2007年)
 
46 / km2
人種99.0% 白人
ウェールズ語
全人口のうちのウェールズ語話者割合1位
76.1%
政治



http://www.gwynedd.gov.uk/
情勢連立(最大与党なし)
グウィネズ選出のイギリス下院議会議員

Elfyn Llwyd

Betty Helena Williams

Hywel Williams

グウィネズ選出のウェールズ議会議員

Dafydd Elis-Thomas

Denise Idris Jones

Alun Ffred Jones
(Constituency)

北ウェールズ選挙区(ウェールズ議会)

中央・西部ウェールズ選挙区(ウェールズ議会
(Regional)

欧州議会議員

ウェールズ

グウィネズ (Gwynedd、英語: [??w?n?d])またはグゥイネッズ(ウェールズ語: [????n?d])は、ウェールズ北西部のプリンシパル・エリア(州)である。かつてのグウィネズ王国にちなむ。面積の広い州であるが、人口が希薄な州の一つでもある。人口の大多数がウェールズ語を話す。

グウィネズはバンガー大学(旧ウェールズ大学バンガー校)がある。また、美しいリーン半島とスノウドニア国立公園の大半がある。

グウィネズの名は、アングルシー島を含める、儀礼目的で使用される州と同名のプリザーヴド・カウンティーの名グウィネズとしても使用される。
歴史Tremadog湾スノードン山鉄道バンガー大学校舎

グウィネズは、ローマ帝国の属州ブリタンニア時代終わりから13世紀まで独立した王国であった。13世紀イングランド王国に征服され従属させられた。現在のグウィネズはかつてのグウィネズ王国の領土を基盤としており、イギリス地方自治法のもとで1974年4月1日につくられた8つのウェールズのカウンティのうちの1つである。かつてのアングルシーの行政カウンティー、そしてカーナーヴォンシャー、メリオネスシャー全部、デンビーシャーの数教区をまとめて成立した。

カウンティーは、5つの地区に分けられていた。アバーコンウィ区、アフロン区、Dwyfor区、メイリオニズ区、アングルシー区である。

ウェールズ地方自治法 (1994年)が1974年のカウンティーと5つの区を1996年4月1日に廃止し、分割した。アングルシーは単独で一つの州となり、アバーコンウィ(かつてのデンビーシャーの一部を含む)は新設されたコンウィ州に加えられた。カウンティーの残りが『カーナーヴォンシャーとメリオネスシャー』(Caernarfonshire and Merionethshire)の名でプリンシパル・エリアとなった(歴史的な州名を反映させている)。その最初の活動の一つとして、カウンシルは1996年4月1日よりグウィネズと改称した。

現在のグウィネズはグウィネズ議会が治める単体の州であり、もはや地区をもたないが、アルフォン、Dwyfor、メイリオニズはエリア協議会の名として使用され続けている。

1996年以前の境界は、地方長官の称号として使用するといったわずかな目的でプリザーヴド・カウンティーとして維持されてきた。2003年、クルイド州は現在の自治議会境界と合わせて調整された。プリザーヴド・カウンティーとして今アングルシー、クルイド全体を含んでいるコンウィ州をカバーするためであった。

グウィネズ警察管区は、アングルシー、カーナーヴォンシャー、メリオネスシャーの吸収から1950年に成立した。さらなる合同は1960年代に、グウィネズ警察管区がフリントシャーとデンビーシャーの警察を吸収したときに行われた。名前はグウィネズが採用された。地元議会がウェールズで刷新の申し出をし、グウィネズは北ウェールズ全てをカバーする自治当局の名としたいという申し出が成された。しかし、グウィネズとクルイドの間のこの地域を分割して法律化する実施案であった。混乱を避けるため、グウィネズ警察管区は北ウェールズ警察と改名した。

1951年にスノウドニア国立公園が設立された。1974年以降、地元政府が再編され、公園ほぼ全体がグウィネズの境界内に収まった。そしてグウィネズ州議会の部署として運営された。1996年以後、地元政府が再編され、公園の一部がコンウィ州に入ることになった。公園の行政部門はグウィネズ議会から切り離された。グウィネズ議会はいまもスノウドニア国立公園の運営委員18人のうち9人を任命している(他コンウィから3人、ウェールズ議会から6人)。
2001年度調査プリンシパル・エリアごとのウェールズ語話者数を表した図。濃い色ほどウェールズ語話者が多い州都カーナーヴォンの町並みPorthmadog港

2001年度の調査によれば、ウェールズ内でのウェールズ語話者の数は、過去100年間で初めて増加した。約2,900万人の人口の20.5%がウェールズ語を流暢に話せる(5人に1人)[1]。加えて、人口の28%はウェールズ語を理解できるという[1]。調査は、増加が都市圏で最も目覚ましいことを露わにした[1]。しかし、ウェールズ語話者の数はグウィネズ内では減少しており、1991年には人口の72.1%がウェールズ語話者であったのが、2001年には68.7%であった[1]

グウィネズでのウェールズ語話者の減少は、ウェールズ語を理解しない住民が北ウェールズへ移り住んできたことが反映している。地元ウェールズ語話者が好む以上に資産割合が上がっていると、元グウィネズ州幹部で政党プライド・カムリ党員Seimon Glynは、その論争における注意点に焦点をあて、2001年の議論を巻き起こす原因となったコメントをした[2]。Glynは、地元住民が払う額を越えた家の価格の問題を強調したレポートで、'...伝統的なウェールズの共同体が滅びてしまう...とコメントした[3]

田舎のウェールズの不動産市場は、休暇のための別荘や、退職後の家をセカンド・ホームとして探す購入希望者のため盛況である。多くの買い手らはイングランドからウェールズへやってきている。なぜなら、イングランドでの住宅価格と比較してそれほどウェールズの住宅は高くないからである[4][5]。住宅価格の上昇はウェールズの平均収入を追い越し、多くの地元民らは新規で住宅を求めようとすると買えない事態となった[5]

2001年、グウィネズの1/3近い不動産が州外の買い手に買われた。そして一部の共同体では地元住宅の1/3が休暇用別荘として使われていると伝えられた[6][7]。別荘の所有者らは、少なくとも年6ヶ月以上を地元共同体で過ごす。

地元民の論争が地元不動産市場の値を上げることは、イギリスじゅうの多くの僻地共同体ではふつうのことだったが、ウェールズでは言語の重要さが加わりさらに論争を複雑にした。同様に多くの新住民がウェールズ語を学ばなかったのである[6][8] [9][10]

これらの圧力の下でウェールズ語を懸念し、Glynは『一度、ウェールズの地元共同体で暮らす50%以上の誰もが外国語を話せば、ウェールズ人はすぐに固有の母語を失うのだ。』と言った[11]

ウェールズ政党プライド・カムリ(Plaid Cymru)は、長くセカンド・ホームにおける管理を援護してきた。Dafydd Wigleyによって2001年プロジェクト・チームが立ち上げられた。チームは、土地は地元住民が暮らすのに好ましいよう割り当てるべき、そして家を購入する地元住民に補助金を与えるよう呼びかけた。そして、スコットランドハイランドにおいて導入されたものと似た施策で、休暇用住宅には地方税を二倍にすべきだと勧告した[7][8][11]

しかし、ウェールズ議会内で連立を組むウェールズ労働党と自由民主党は、これらの提案をはねつけた。議会の住宅担当報道官ピーター・ブラックは『我々に、ウェールズ語に関する法律を計画する構想はない』『そのようなやり方でセカンド・ホーム所有者に対する懲罰基準をとることも、これらのようなウェールズ語保護派の申し出が地元住民のための住宅の価値に影響を与えることもないだろう。』と発言した[11]

2001年秋から、イングランドのエクスムア国立公園(en)当局は、公園内でのセカンド・ホーム所有に制限を設ける考えを明らかにした。31%ほど地元住宅価格が跳ね上がったためである[9]


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