クンドゥーズ
???????
市
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}クンドゥーズ
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度43分43秒 東経68度52分5秒 / 北緯36.72861度 東経68.86806度 / 36.72861; 68.86806
クンドゥーズ (ダリー語 :?????、パシュトー語: ?????) は、アフガニスタン北部の都市で、クンドゥーズ州の州都。Kundus、Kunduz、Qonduz、Qonduz、Konduz、Konduz、Kondoz、Qhunduzなどともアルファベット表記される。幹線道路によって、西のマザーリシャリーフ、南のカーブル、北のタジキスタン国境と結ばれている。人口は264,100人 (2006年の公式推計[2])、マザーリシャリーフに次いでアフガニスタン第5の都市である。位置は36.73°N 68.86°E、標高は海抜397 m。 クンドゥーズ市は東京から西に約6210キロ(東京・ホノルル間とほぼ同じ)[3]、カブールから北に約245キロ(東京・福島市間とほぼ同じ)、タジキスタン国境から南に約60キロ離れた場所に位置する都市である。クンドゥーズ市はヒンドゥークシュ山脈からアムダリヤ川に向かって北西に延びる2本の支脈・丘陵のKuhe Qara BaturとKohi Kliwaja Taw[4]の間の大きな盆地の中にある。この盆地には南からクンドゥーズ川
地理
歴史2001年のアフガニスタンの民族
クンドゥーズなどのアフガニスタン北部は古代から栄えており、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のバクトリア遠征にも登場する。しかし近代のクンドゥーズ市が成立したのはずっと後で、19世紀に入ってからである。この頃、アフガニスタン東部に住んでいたパシュトゥーン人のシール・ハーン・ナセルの一族はアブドゥッラフマーン・ハーン王から政敵として看做され、アフガニスタン北部のこの土地に追いやられた。何もなかったこの土地にシール・ハーン・ナセルはクンドゥーズの町を建設し、アムダリア川沿いに貿易港であるシルハン・バンダル港を開港し、スピンザー・コットン・カンパニーを創業して綿花を育てた[18]。これらの事業は成功を収め、ナセルの甥のゴラム・セルワール・ナセルの時代にはスピンザーは社員数2万人の大企業に成長し街も発展した。これがクンドゥーズの町の成り立ちであり、現在でもカンダハリーの末裔[19]が住んでいるためクンドゥーズはパシュトゥーン人の多い町になっている。
しかしタジク人やウズベク人が多いアフガニスタン北部でパシュトゥーン人が多数派を占めることには弊害もあり、例えばパシュトゥーン人を主体とするターリバーンにとっては協力者を得やすい土地柄であり、アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)の「第二次マザーリシャリーフの戦い」やアメリカ同時多発テロ事件後のクンドゥーズ包囲戦や2015年のクンドゥーズの戦いなど、クンドゥーズはアフガニスタン北部におけるターリバーンの抵抗拠点として選ばれる事が多い。