クンドゥーズ
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クンドゥーズ
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度43分43秒 東経68度52分5秒 / 北緯36.72861度 東経68.86806度 / 36.72861; 68.86806座標: 北緯36度43分43秒 東経68度52分5秒 / 北緯36.72861度 東経68.86806度 / 36.72861; 68.86806
国 アフガニスタン
クンドゥーズ州
郡クンドゥーズ郡
文献初出紀元前329年
標高391 m
人口(2012)[1]
 ? 市268,893人
 ? 都市部268,893人
等時帯UTC+4:30 (アフガニスタン標準時間)
主要言語パシュトゥー語
ダリー語
ウズベク語
気候ステップ気候(BSk)

クンドゥーズ (ダリー語 :?????、パシュトー語: ?????‎) は、アフガニスタン北部の都市で、クンドゥーズ州の州都。Kundus、Kunduz、Qonduz、Qonduz、Konduz、Konduz、Kondoz、Qhunduzなどともアルファベット表記される。幹線道路によって、西のマザーリシャリーフ、南のカーブル、北のタジキスタン国境と結ばれている。人口は264,100人 (2006年の公式推計[2])、マザーリシャリーフに次いでアフガニスタン第5の都市である。位置は36.73°N 68.86°E、標高は海抜397 m。
地理

クンドゥーズ市は東京から西に約6210キロ(東京・ホノルル間とほぼ同じ)[3]、カブールから北に約245キロ(東京・福島市間とほぼ同じ)、タジキスタン国境から南に約60キロ離れた場所に位置する都市である。クンドゥーズ市はヒンドゥークシュ山脈からアムダリヤ川に向かって北西に延びる2本の支脈・丘陵のKuhe Qara BaturとKohi Kliwaja Taw[4]の間の大きな盆地の中にある。この盆地には南からクンドゥーズ川(英語版)、東からハーナーバード川(英語版)が流れてきて、砂漠の中に広大なオアシスを形成している。このオアシスの南側にはヒンドゥークシュ山脈から続く台地が広がっているが、台地にはオアシスに向けて南北に約10キロメートルほど突き出た部分があり、その北端にクンドゥーズ市、南端にクンドゥーズ空港(英語版)がある[5]。市の中心部は東西南北に街区が整備されており、簡素なロータリー交差点(Traffic SquareもしくはSari Chawki Kunduz広場[6][7]を中心に東西南北に舗装道路が伸びている。ロータリー周辺はバザールになっていて、二階建ての店舗や露天が立ち並んでいる[8]。道路には車線や信号機はなく、人や馬や自転車やオート三輪や乗用車やトラックが思い思いに通行している[9]。ロータリーから南に約500メートルほど進むと道の東側に州知事公邸[10]や行政庁舎・公園・ホテルなどがある[5]。ロータリーから南に約2キロメートルほど進むと治安警察の基地や刑務所があり[10]、その先は階段状の台地になっている[5]。台地は周囲との高低差が25メートル以上[11]あり境は崖のようになっている所が多い[12][13]。台地の上は空港まで乾燥した土地が広がっているが所々に家があり[14]、牧草が生えている所もある[15]。一方、ロータリーから西に約1キロメートルほど進むとスピンザーの工場があり、そこで道路は直角に曲がって南に進んでいく[5]。この道は「エアポート・ロード」と呼ばれており[5]アジアハイウェイ7号線の一部を形成している。スピンザー工場の角から南に約1キロメートルほど進むとバルフ州のホルムに繋がる道と交差する。この交差点の北側[10]には古い病院があり国境なき医師団が2011年から「外傷センター」を開院し、銃創患者や交通事故患者を治療していた[16]。しかし2015年のクンドゥーズ病院爆撃事件で破壊された。交差点を西に進むとクンドゥーズ川があり周辺では珍しく橋が架かっている[17]。一方、ロータリー交差点から北に約1.5キロートルほど進むと三叉路がある。三叉路を東に向かうとタジキスタン国境の町シルハンやアムダリア川に面したイマーム・サーヒブ郡に至る。一方、西に向かうとクンドゥーズ郡のゴルテパ地区を抜けて、カラフイ・ザール郡に達する。三叉路のすぐ東にはバラ・ヒサール(Bala Hisar)[6]と呼ばれる空掘りで囲まれた古い山城があり、現在でもアフガニスタン軍が使用している[10]。三叉路から500メートルほど北には発電所がある[6]。クンドゥーズ市の東側を北に向かって流れるNari Gaw Kosh川[6]はこの辺りで西にカーブして、市の北の境になる。
歴史2001年のアフガニスタンの民族

クンドゥーズなどのアフガニスタン北部は古代から栄えており、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王バクトリア遠征にも登場する。しかし近代のクンドゥーズ市が成立したのはずっと後で、19世紀に入ってからである。この頃、アフガニスタン東部に住んでいたパシュトゥーン人シール・ハーン・ナセルの一族はアブドゥッラフマーン・ハーン王から政敵として看做され、アフガニスタン北部のこの土地に追いやられた。何もなかったこの土地にシール・ハーン・ナセルはクンドゥーズの町を建設し、アムダリア川沿いに貿易港であるシルハン・バンダル港を開港し、スピンザー・コットン・カンパニーを創業して綿花を育てた[18]。これらの事業は成功を収め、ナセルの甥のゴラム・セルワール・ナセルの時代にはスピンザーは社員数2万人の大企業に成長し街も発展した。これがクンドゥーズの町の成り立ちであり、現在でもカンダハリーの末裔[19]が住んでいるためクンドゥーズはパシュトゥーン人の多い町になっている。

しかしタジク人ウズベク人が多いアフガニスタン北部でパシュトゥーン人が多数派を占めることには弊害もあり、例えばパシュトゥーン人を主体とするターリバーンにとっては協力者を得やすい土地柄であり、アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)の「第二次マザーリシャリーフの戦い」やアメリカ同時多発テロ事件後のクンドゥーズ包囲戦や2015年のクンドゥーズの戦いなど、クンドゥーズはアフガニスタン北部におけるターリバーンの抵抗拠点として選ばれる事が多い。


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