クンドゥーズ病院爆撃事件
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クンドゥーズ病院爆撃事件
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
クンドゥーズ州アフガニスタン
国境なき医師団クンドゥーズ外傷センター(Kunduz MSF Trauma Center、クンドゥーズ市))
場所アフガニスタンクンドゥーズ州
日付2015年10月3日
死亡者22
負傷者30人以上
犯人 アメリカ空軍・第4特殊作戦飛行隊[1]
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クンドゥーズ病院爆撃事件(クンドゥーズびょういんばくげきじけん)とは、アフガニスタンで起きたクンドゥーズの戦い_(2015年)のさなか、2015年10月3日アメリカ空軍AC-130ガンシップがクンドゥーズ市内の国境なき医師団病院を攻撃した事件である[2]。この直後、22名が死亡し、30名以上が負傷、33名が行方不明のままになっている[3][4][5][6]

国境なき医師団は、すべての交戦当事者が事件前に病院の位置を知っており、空爆は意図的かつ国際人道法に反するものだと述べて、事件を非難した[7][8]アメリカ軍は当初、攻撃は地上のアメリカ軍部隊を防御するために行われたと述べていたが、後に、アフガニスタン駐留アメリカ軍司令官のジョン・F・キャンベル大将は、ターリバーンの銃火にさらされたアフガニスタン軍の要請によって行われたと述べた。

キャンベルは、攻撃は「誤り」であり、「保護された医療施設を意図的に狙うことは決してしない」と述べた[9][10]。しかし国境なき医師団側はアメリカ側の事実認定について疑問を呈しており[11]、国境なき医師団ベルギーのクリストファー・ストークス事務局長は、この攻撃が「殺害と破壊」という目的を持って行われたものであったと主張している[12]

アメリカおよびNATOは捜査を開始した[13]バラク・オバマ大統領は、2015年10月7日、攻撃を謝罪した[14]
爆撃事件
背景詳細は「クンドゥーズの戦い」を参照

2015年9月28日、ターリバーンは、政府軍をクンドゥーズ市外に追いやり、都市を占拠した。アフガニスタン政府軍は、アメリカ航空戦力に支援された増援部隊の到着後、都市を再掌握するべく攻撃作戦を開始した。数日の戦闘の後、アフガニスタン政府軍は、都市を奪回したと主張した。しかし、戦闘は継続しており、10月3日、米軍による空爆が病院に命中し深刻な損害を与え、医師や職員、患者を殺害した。

空爆された病院は2011年に国境なき医師団が開設した外傷センターであり、アフガニスタン北東部における唯一の外傷治療施設として、交通事故などによる一般外傷の患者や銃撃など紛争に関連した外傷の患者に対して外科治療を提供してきた[2]。患者が紛争のどちらの陣営であるか、民間人か戦闘員であるか、といったことに関係なく治療を提供していたが、アフガニスタン政府陣営の患者とターリバーン陣営の患者の割合は戦闘の状況、病院へのアクセス状況、他の医療施設の利用の可否といった要因により変動していて、2015年9月末ごろからは病院に搬送される戦闘員の患者はターリバーン陣営が大半を占めるようになった[15]。また、入院中の患者の中に2名タリバン陣営の上層部が含まれていることも病院は把握していた[15]

病院の位置は以前から周知されていたが、戦闘の激化を受けて病院は9月29日に改めてアメリカ国防総省、アフガニスタン内務省、アフガニスタン国防省、そして首都カーブルに駐留する米軍にGPS座標を電子メールで送信し病院の正確な位置を伝えていた[15]。国境なき医師団の要員は、直近では9月29日にアメリカ軍当局者と接触し、病院の正確な位置を再確認していた[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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