クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール(Claude-Joseph Rouget de Lisle, 1760年5月10日 - 1836年6月26日)は、フランスの軍人・作曲家・作詞家。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を作詞作曲した。 ジュラ県のロン=ル=ソーニエで弁護士の息子に生まれる。長じて軍学校に入り士官教育を受け、工兵将校として軍に入隊した。在学当時から音楽には強い関心を抱いていたという。 1792年4月、フランスがオーストリア大公国に宣戦布告をした。この時、ストラスブールのライン方面軍に配属されていた当時大尉のリールのもとへ、ストラスブール市長が訪れ、方面軍の士気向上のために行進歌を作るよう依頼した。4月25日、リールは一日で曲を書き上げ、『ライン軍のための軍歌』 (Chant de guerre pour l'armee du Rhin) と題し、翌4月26日、市長と聴衆の前で披露した。感激した市長はさっそく楽譜を印刷し、方面軍司令官のニコラ・リュクネール元帥にこの曲を献呈した。後にマルセイユの義勇軍がこの曲を採用し、パリ入城の際に歌っていたことから有名となり、「ラ・マルセイエーズ」(La Marseillaise) と題されて国歌に制定された。 1792年の8月10日事件後、立憲王政を支持していたド・リールは逮捕され投獄された。1794年のテルミドールのクーデター後に解放され、軍に復帰した。1796年、ド・リールは軍を追放されロン=ル=ソーニエに帰国。後にルイ・フィリップから別荘と年金を下賜された。1836年、ド・リールは76歳で亡くなった。 ド・リールの遺灰はショワジー=ル=ロワ墓地に埋葬されたが、第一次世界大戦中の1915年7月14日にオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)に納められた。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール
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