クロード・ロワ
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クロード・ロワ
Claude Roy
クロード・ロワ 1983年
誕生クロード・オルラン
(1915-08-28) 1915年8月28日
フランスパリ
死没 (1997-12-13) 1997年12月13日(82歳没)
フランスパリ
職業詩人小説家評論家児童文学作家ジャーナリスト
言語フランス語
最終学歴ソルボンヌ大学
ジャンル小説文学評論美術評論児童文学演劇紀行ルポルタージュ回想録
代表作『要するに』
『旅人の驚き』
『毛沢東 ― 新中国の鍵』
『シュペルヴィエル』
『評伝 バルテュス』
『時の縁りで』
『暁の暗闇』
『忍び跫の詩篇』
主な受賞歴ゴンクール詩人賞
ウィキポータル 文学
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クロード・ロワ[1](Claude Roy、1915年8月28日 - 1997年12月13日)はフランス作家であり、小説文学美術評論児童文学演劇紀行ルポルタージュなど幅広い分野で活躍した。学生時代に右派の思想に傾倒したが、アラゴンジッドエリュアールらとの出会いを機に共産党に入党。共産党の対独レジスタンス・グループ国民戦線(フランス語版)の一派として南仏の自由地域(フランス語版)で結成された全国作家委員会(フランス語版) (CNE) に参加して地下出版物を編纂・配布し、詩を発表し始めた。1944年8月のパリ解放に参加してルポルタージュを発表し、大きな反響を呼んだ。主な著書にシュペルヴィエル、アラゴン、スタンダールなどの文学者や、ゴヤピカソクレーバルテュスなどの芸術家に関する評論、アメリカ中国に関するルポルタージュ、回想録三部作、詩集『時の縁りで』、『暁の暗闇』、『忍び跫の詩篇』などがある。1985年に第1回ゴンクール詩人賞を受賞した。
生涯
背景

クロード・ロワは1915年8月28日、クロード・オルランとしてパリプチブルジョワ家庭に生まれた。父はスペイン生まれの画家で、母はシャラント県出身であった[2][3]。まもなく、シャラント県ジャルナック(フランス語版)、次いで同じ県内のアングレームに越した。ジャルナック出身で1歳年下のフランソワ・ミッテランとは子ども時代からの知り合いであり[4]、回想録で「彼も私も熱心な読書家だった」と語っている[5]
モーラス思想への傾倒

ソルボンヌ大学法学部に入学し、すでに学生時代から雑誌新聞に寄稿し始めた。当初は王党派右翼のシャルル・モーラスの思想に傾倒し、1935年にモーラスが主宰したアクション・フランセーズ学生連盟の月刊機関紙『フランス学生』、次いで機関紙『アクション・フランセーズ』や『ルヴュ・ユニヴェルセル(フランス語版)(世界評論)』に寄稿。さらに、同じくアクション・フランセーズのジャン・ド・ファブレーグ(フランス語版)、ジャン=ピエール・マクサンス(フランス語版)らを中心とする「青年右派(フランス語版)」に関わり、機関紙『反乱者』やファブレーグが主宰する『ルヴュ・ドュ・シエークル(フランス語版)(世紀評論)』誌に寄稿した。これらの雑誌には、当時、モーリス・ブランショも寄稿しており[6]、クロード・ロワはブランショと同じ道を歩んでいる。すなわち、極右への傾倒と転向である。1936年に詩人ジュール・シュペルヴィエルを介して極右週刊紙『ジュ・スイ・パルトゥ(フランス語版)(私は偏在)』の編集長ロベール・ブラジヤックと知り合い、同紙に寄稿。多くの記事を書いたが、反ユダヤ主義的な傾向は一切なく、すべて文学に関するものであり[5]、実際、戦間期に外国文学を積極的に紹介したことで国際的に知られることになった『新フランス評論』誌にも多数の記事を寄せている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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