第14代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ジョージ・ボーズ=ライアン(英: Claude George Bowes-Lyon, 14th Earl of Strathmore and Kinghorne, KG, KT, GCVO, TD(英語版) 1855年3月14日 - 1944年11月7日)は、イギリスの貴族。イギリス王ジョージ6世妃エリザベスの父。イギリス女王エリザベス2世 、マーガレット王女の外祖父。1865年から1904年までグラームズ卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯(英語版)(1832年7月29日 ? 1922年2月5日)の長男として、1855年3月14日にベルグレイヴィアのラウンズ・スクエア(英語版)で生まれた[1]。1869年から1872年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1876年に少尉として近衛騎兵第1連隊第2大隊に入隊、6年間勤務した[1][2]。国防義勇軍の一員でもあり[2]、ブラック・ウォッチ(英語版)第4/5大隊の名誉隊長を務めた[1]。
1904年2月16日に父が死去すると、ストラスモア=キングホーン伯爵位を継承した[1]。
1923年にロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス、1928年にシッスル勲章、1937年にガーター勲章、1938年にセント・ジョン勲章(英語版)ナイト・オブ・グレースを授与され、1937年6月1日に連合王国貴族であるストラスモア=キングホーン伯爵に叙された[1]。
1944年11月7日にグラームズ城で死去、10日に同地で埋葬された[1]。長男パトリックが爵位を継承した[1]。 1881年7月にサリー州ピーターシャムでセシリア・ニーナ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク(1862年9月11日 ? 1938年6月23日、聖職者チャールズ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
家族
ヴァイオレット・ヒアシンス (1882年4月17日 - 1893年10月17日[3])
メアリー・フランシス (1883年8月30日 - 1961年) - 1910年7月14日、第16代エルフィンストン卿シドニー・エルフィンストンと結婚、子供あり
パトリック (1884年9月22日 - 1949年5月25日) - 第15代ストラスモア=キングホーン伯爵[4]
ジョン・ハーバート (1886年4月1日 - 1930年) - 兄パトリック、弟ファーガスとともにブラック・ウォッチ歩兵連隊で従軍。1914年9月29日、第21代クリントン男爵の娘フェネラ・ヘップバーン=ステュアート=フォーブス=トレフュージスと結婚。娘にアン・ボーズ=ライアン、ネリッサ・ボーズ=ライアンとキャサリン・ボーズ=ライアン
アレクサンダー・フランシス(1887年4月14日 - 1911年10月19日) - 生涯未婚[3]
ファーガス(英語版)(1889年4月18日 - 1915年9月27日) - 第一次世界大戦で戦死。1914年9月17日、クリスチャン・ノラ・ドーソン=デイマー(Christian Norah Dawson-Damer、第5代ポータリントン伯爵ジョージ・ドーソン=デイマーの娘)と結婚、1女をもうけた[3]
ローズ・コンスタンス (1890年5月6日 - 1967年) - 1916年5月24日、ウィリアム・ルーソン=ゴア閣下(英語版)(のちの第4代グランヴィル伯爵)と結婚、子供あり
マイケル・クロード (1893年10月1日 - 1953年) - 第一次世界大戦に出征し捕虜となる。妹エリザベスの結婚式でブライズメイドを務めたエリザベス・カーターと結婚。のちに息子ファーガスが17代伯爵を襲爵する。
エリザベス・アンジェラ・マーガレット (1900年8月4日 - 2002年) - ジョージ6世(結婚当時はヨーク公アルバート)と自由恋愛の末、1923年4月26日に結婚。のちに夫の即位によって王妃となり、さらに娘エリザベスの即位により王太后となる。
デイヴィッド (1902年5月2日 - 1961年) - 第二次世界大戦で政治戦執行部(対独心理プロパガンダ作戦担当部局)に勤務。
クロード・ボーズ=ライアン (第14代ストラスモア=キングホーン伯爵)の系譜
8. 第11代ストラスモア=キングホーン伯爵トマス・ボーズ=ライアン
4. グラミス卿トーマス・ボーズ=ライアン
9. メアリー・エリザベス・ルイーザ・カーペンター
2. 第13代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ボーズ=ライアン