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クロード・ベリ
Claude Berri
本名Claude Berel Langmann
生年月日 (1934-07-01) 1934年7月1日
没年月日 (2009-01-12) 2009年1月12日(74歳没)
出生地パリ
死没地パリ
国籍 フランス
職業映画監督、プロデューサー、俳優、脚本家
著名な家族トマ・ラングマン(息子)
主な作品
『ジェルミナル』
受賞
アカデミー賞
短編映画賞
1965年『Le Poulet』
英国アカデミー賞
作品賞
1987年『愛と宿命の泉』
脚色賞
1987年『愛と宿命の泉』
セザール賞
作品賞
1979年『テス』
2007年『クスクス粒の秘密』
その他の賞
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クロード・ベリ(Claude Berri, 本名: Claude Berel Langmann, 1934年7月1日 - 2009年1月12日)は、フランスの映画監督・映画プロデューサー・俳優。俳優から転向した、ヌーヴェルヴァーグの映画作家として知られる。 1953年、19歳のとき、クロード・オータン=ララ監督の映画『Le Bon Dieu sans confession』で俳優としてデビューする。ジャン・ルノワール監督の『フレンチ・カンカン』(1954年)やアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『真実』(製作ラウール・レヴィ、1960年)、クロード・シャブロル監督の『気のいい女たち』(1960年)などでの俳優としての活動を経て、1961年、モーリス・ピアラ監督の短篇映画『Janine』で脚本家としてデビューする。翌1962年には、自らも演出に乗り出し、短篇映画『Le Poulet』(撮影ギスラン・クロケ)で監督としてデビューした。同作は初プロデュース作でもある。 ジャン=リュック・ゴダールを『勝手にしやがれ』で世に出したヴェテラン映画プロデューサージョルジュ・ド・ボールガールが、1963年、新人によるオムニバス映画を製作することになり、気鋭の若手5人のひとりに選ばれた。『キス! キス! キッス!』(旧題『接吻! 接吻! 接吻!』)がその作品だが、他の4人の監督はベルトラン・タヴェルニエ、ジャン=フランソワ・オーデュロイ
生涯
1966年、製作会社「レン・プロデュクション」を設立する。同社設立、第1作は監督としての長篇映画デビューを飾った1967年の『老人と子供』である。同作を第17回ベルリン国際映画祭に出品、金熊賞にノミネートされたほか同映画祭で3つの賞を受賞、世界的に名が知られることとなった。同社は翌1968年、設立第2作としてモーリス・ピアラ監督の『裸の幼年時代』を製作、ピアラを長編映画監督としてデビューさせた。
1968年、「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」の映画監督ヤン・ニェメツによるいわゆる「プラハの春」のドキュメンタリー映画『プラハのためのオラトリオ Oratorio for Prague』を、ベリの妻の弟であるジャン=ピエール・ラッサムとともにプロデュースし、ラッサムを映画プロデューサーとしてデビューさせた。