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クロード・シャブロル
Claude Chabrol
(2008年、アミアン国際映画祭にて)
本名Claude Henri Jean Chabrol
生年月日 (1930-06-24) 1930年6月24日
没年月日 (2010-09-12) 2010年9月12日(80歳没)
出生地 フランス・パリ
死没地 フランス・パリ
職業映画監督、脚本家
ジャンル映画・テレビ
活動期間1956年 - 2010年
配偶者アニエス・グート(1952年 - 1964年)※離婚
ステファーヌ・オードラン(1964年 - 1980年)※離婚
オロール・シャブロル(1981年 - 2010年)※死別
著名な家族トマ・シャブロル
受賞
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1959年『いとこ同志』
国際映画批評家連盟賞
1973年『血の婚礼』
功労賞
2009年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
2003年
全米映画批評家協会賞
外国語映画賞
1996年『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
1989年『主婦マリーがしたこと』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
外国語映画賞
1989年『主婦マリーがしたこと』
1996年『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』
その他の賞
ルイ・デリュック賞
2000年『ココアをありがとう』
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クロード・シャブロル(Claude Chabrol, 1930年6月24日 - 2010年9月12日)は、フランスの映画監督・映画プロデューサー・脚本家。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。
来歴・人物の2人の息子がいる。
1953年、初代編集長アンドレ・バザン時代の『カイエ・デュ・シネマ』誌で映画評を書き始める。このときのペンネームはシャルル・エテル (Charles Eitel) とジャン=イヴ・グート (Jean-Yves Goute) 名義。のちのヌーヴェル・ヴァーグの旗手たち、批評家時代のジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、兵役から帰ったばかりのフランソワ・トリュフォーらと出会う。当時、それと平行して『ミステール』誌に探偵小説を書き、20世紀フォックスのパリオフィスで宣伝アシスタントの仕事をしていた。
1956年、妻の祖母から相続した巨額の遺産で製作会社AJYMフィルムを設立してリヴェットの短編『王手飛車取り』を製作し、脚本をリヴェットと共同執筆したうえ、ゴダールやトリュフォー、リヴェットとともに出演する。ヴィルジニー・ヴィトリ、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズとジャン=クロード・ブリアリが主演し、ジャン=マリー・ストローブが助監督であった同作は、シャブロルをはじめ彼らにとって初のプロフェッショナルな短編映画製作となった。
1957年、エリック・ロメールとの共著『ヒッチコック』が出版される[1]。ヒッチコックはサスペンス主流のシャブロルの作品に大いに影響を与えている。
1958年8月、監督デビュー作の『美しきセルジュ』がスイスのロカルノ国際映画祭で上映。9月にはヴェネツィア国際映画祭で公開される(フランスでは1959年1月10日に一般公開された)。同作品はジャン・ヴィゴ賞を受賞。
同年7月から11月にかけてリヴェットの処女長編『パリはわれらのもの』の撮影が行われる[2]。同作品はトリュフォーの会社レ・フィルム・デュ・キャロッスとシャブロルのAJYMフィルムとの共同製作で、シャブロル、リヴェット、ゴダール、ジャック・ドゥミらが出演した。公開は1961年12月と遅れたが、トリュフォーは『突然炎のごとく』の劇中でジャンヌ・モローにこの作品のタイトルを叫ばせている。
1959年3月11日公開の監督第2作『いとこ同志』(第9回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)が興行的にも成功をおさめ、この収入がロメールの処女長編『獅子座』の製作費に当てられ、1959年夏のパリで撮影されることになる[3]。
1962年にアニエスと離婚し、女優ステファーヌ・オードランと1963年4月24日にはオードランの間にすでに息子トマ(現俳優)をもうけ、翌年に正式結婚。しかし、1980年にオードランと離婚して1983年には古くからのスクリプトを担当していたオロール・パキスことオロール・シャブロルと再々婚した。