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をお願いします。(2017年6月)レーゼドラマ(Lesedrama)は、上演を目的とせず、読まれる[注釈 1]ことを目的に書かれた、脚本形式の文学作品のこと。ブーフドラマ(Buchdrama)とも言う。戯曲の一種とされる。対義語はビューネンドラマ(Buhnendrama)。いずれもドイツ語で、レーゼは「読む」、ブーフは「本」、ビューネンは「舞台の」という意味である。
なお、英語におけるクローゼット・ドラマ(Closet drama)は、ほぼ同義の概念である。また、「書斎劇」という漢字語も存在する[1]。
シナリオ(映像作品の脚本)の形式で書かれたレーゼドラマを、レーゼシナリオという場合もある。
演劇評論家の岩淵達治は、平凡社世界百科事典に「近年の新しい演劇の試みのなかでの劇空間の拡大、また素朴な演劇性の再発見は、すべてのレーゼドラマの上演を可能にしたが、逆に最近の身体言語による演劇から見ると、従来書かれてきた戯曲はすべてレーゼドラマに等しいものだということもできよう」と書いた。[2] レーゼドラマの代表作として、ミュッセの『戯れに恋はすまじ』(1834年)が挙げられよう。『ヴェネツィアの夜』の初演が不評だったミュッセはその後、読まれるための戯曲を志向し、前掲作も収められた戯曲集は『肘掛椅子の中での観物』と名づけられた。ここに収められている戯曲には多すぎる場面転換などの実演上困難な仕掛けがあり、これは文学的な必然性のみからなされたのではなく、かつての不評から観客に不信感を抱いたミュッセがわざと上演の障害をもうけたためだと見る向きもある[3]。しかし、「上演不可能に書かれている」ということは、レーゼドラマの必要条件ではない。 他には、ジョン・ミルトンによる『闘士サムソン』(1671年)、ドゥニ・ディドロの『運命論者ジャックとその主人』、太宰治の『新ハムレット』(1941年)、ゲーテの『ファウスト』(1808年 - 1833年、とくに二部)、シラーの『群盗』、フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』[4]、北村透谷の『蓬莱曲』などが、その例にあたる。
代表作