クロゾン
[Wikipedia|▼Menu]

Crozon




行政
フランス
地域圏 (Region)ブルターニュ地域圏
(departement)フィニステール県
(arrondissement)シャトーラン郡
小郡 (canton)小郡庁所在地
INSEEコード29042
郵便番号29160
市長任期)ダニエル・モワサン
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr)fr:Communaute de communes de la presqu'ile de Crozon
人口動態
人口7 809人
2009年
人口密度97人/km2
住民の呼称Crozonnais, Crozonnaise
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度14分45秒 西経4度29分15秒 / 北緯48.245834度 西経4.4875度 / 48.245834; -4.4875座標: 北緯48度14分45秒 西経4度29分15秒 / 北緯48.245834度 西経4.4875度 / 48.245834; -4.4875
標高平均:m
最低:0m
最高:102 m
面積80.37km2
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}Crozon
公式サイト ⇒Site officiel de la commune
テンプレートを表示

クロゾン (Crozon、ブルトン語:Kraozon)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン
地理モルガの海水浴場

クロゾンは、クロゾン半島の中心に位置する小郡庁所在地である。半島の面積の大部分がクロゾンで、155箇所の地区や集落を含んでいる。その中には南のリゾート地・モルガ、北はマリーナのあるル・フレがあり、ブレスト港を見下ろしている。

モルガ湾の東側の境はクロゾン市街、西はカゾール岬である。かつてのモルガ港はマグロやイワシの水揚げがされる港だった。漁業資源の枯渇によって、漁港からマリーナに変貌した。
由来

クロゾンという名称のブルトン語の語源は不明である。クロゾンは『石』を意味するcarに基づいている(11世紀はCrauthon、12世紀にはCraothonと呼ばれていた)。これは実際にクロゾンのある場所の地質学的特徴に由来する。その後、言語学者ベルナール・タンギは『隆起する』を意味するKrugまたはKrugellを提唱した。すなわち『高地』である。
歴史ロスマールのメンヒル

ロスマールの巨石記念物、そしてTy-ar-C'hureは先史時代の建造物である。ロスマールの岬砦は、実際に鉄器時代に人が定住した跡であり、その後ガリアやケルトの人々の避難所として役立っていた。この原史時代の砦は、2つの巨大な堤防で構成され、おそらく溝を囲んで塀が建てられていた[1]。これらの防御施設を背後に住民は、敵の攻撃を受けると避難していたのである[2]

1543年、ブルターニュ防衛のためやってきたロアン公爵ルネ2世に同行してきたフランス王室のお抱え外科医、アンブロワーズ・パレは、『人々は武装し、あちこちで警鐘が鳴っていた』と記している。人々はイングランド軍上陸の脅威を何とか退けたのだった。ブルターニュで彼は、ブルトン人のレスリングの説明を受ける機会を得ている[3]
人口統計

1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年2010年
67416895729775257705753576847809

参照元:1999年までEHESS[4]、2000年以降INSEE[5][6]
ブルトン語


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef