クレーン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、機械のクレーンについて説明しています。その他の用法については「クレイン」をご覧ください。

この項目では、特に固定式のクレーンについて説明しています。荷の上げ降ろしのみを行う機械装置については「ウインチ」、「エレベーター」をご覧ください。

本項で解説しないクレーンについては「移動式クレーン」、「デリック」をご覧ください。
タワークレーン(左)とクローラークレーン(右) (東京都多摩市

クレーン(: crane、クレィン)あるいは起重機(きじゅうき)とは、巨大なものや重いものを吊り上げて運ぶ機械である。
概要

クレーン(crane)とは本来「」のことであり、首の長い鳥が首を伸ばした形に似ることからその名がついた[1]。人の力では持ち上げられない物を吊り上げる装置として発展した。また、吊り上げるだけでなく、移動させる機能も付加されるようになった。

日本では、以下のように、クレーンは「荷を動力を用いてつり上げ、およびこれを水平に運搬することを目的とする機械装置」とされており、「揚貨装置および機械集材装置」は含まれない[2]
荷を動力を用いてつり上げ(人力によるものは含まない)

これを水平に運搬することを目的とする機械装置(人力によるものも含む)

したがって、荷のつり上げのみを行う機械装置はクレーンではない。荷のつり上げを人力で行う機械装置は、荷の水平移動が動力であってもクレーンではない。荷のつり上げを動力で行う機械装置は、荷の水平移動が人力であってもクレーンである。また、クレーン等安全規則により、移動式クレーンデリックは、クレーンに含まない[3]

ただし、移動式クレーンやデリックをクレーンに含める場合もあるので、呼称の範囲に注意が必要である。
歴史
古代中東

古代の建造物としてはエジプトピラミッドが知られているが、当時はまだクレーンは存在せず、ゆるやかに作ったスロープからコロを使って巨石を頂上まで運んでいたとされる[4]。世界最古のクレーンは、灌漑に用いられた撥ね釣瓶だとされている[5][6][7]。撥ね釣瓶はメソポタミアで紀元前3000年頃に発明された[5][6]。紀元前2000年頃の古代エジプトでも見られる[7][8]
古代ギリシャトリスパストス(定格150キログラム)

重いものを吊り上げるクレーンは、紀元前6世紀末までに、古代ギリシャで発明された[9]。紀元前515年にはギリシャ寺院の石材に吊り上げ用の加工が施されるようになっていたことが、考古学的に明らかとなっている。この加工自体やその位置から、クレーンが使われていた可能性が高いと考えられている[9]

ウインチプーリーが発明されると、すぐに、スロープに変わって、クレーンが吊り上げ作業の主役となった。引き続く200年の間、古代ギリシャ建築では、それまでの大きい石材に代わって、吊り上げ作業に適した複数の小さい石材が使われるようになった。アルカイック期に石材が大きくなり続けたのに対して、パルテノン神殿が建設された時代のギリシャ寺院では、15 - 20トン以下の石材が利用され続けている。また、柱の構造についても、単体の石材を立て起こすことはなくなり、複数の石材を組み合わせるようになった[9]

ギリシャでこのような変化があった理由は不明だが、ギリシャの社会的政治的状況は、多数の労働者を動員するよりも少数の建設技能者を雇用するのに適していたと考えられる。このため、ギリシャのポリスでは、古代エジプトやアッシリアで見られた労働集約的な斜面による方法よりも、クレーンが好まれたと言われている[9]

プーリーブロックについて初めて言及しているのは、アリストテレス(紀元前384 - 322年)のMechanical Problems (Mech. 18, 853a32-853b13)であるが、後世に追記された部分であるとも言われている。ただし、同時期に、古代ギリシャ寺院の石材が再び大きくなり始めており、複雑なプーリーブロックが使われるようになったことを裏付けている[9]

また、古代ギリシアの演劇でも劇場に設置されておりデウス・エクス・マキナと呼ばれる手法などに使われた。
ローマ帝国ポリスパストス(定格450キログラム)ボンにて復元されたトレッドウイール式ポリスパストス

古代で最も盛んにクレーンが使われたのは、ローマ帝国であった。様々なものが建てられ、建設物も大きくなった。ローマ帝国はギリシャのクレーンを取り入れ、発展させた。ウィトルウィウス(「デ・アーキテクチュラ」 De Architectura 10.2, 1-10)やアレクサンドリアのヘロン(Mechanica 3.2-5)といった技術者たちが、ローマ帝国のクレーン技術について記録している。また、1世紀末のクイントゥス・ハテリウス(英語版)の墓石には、トレッドウイール・クレーン(英語版)のレリーフが2つ残されている。

ローマ帝国の最も単純なクレーンは、トリスパストス(trispastos)と呼ばれ、単純なジブとウインチ、ロープ、プーリー3枚で構成されるブロックから成っていた。人力で吊り上げられる重量が一人50キログラムとすると、このクレーンを使えば、一人で3倍の150キログラムを吊り上げられる。荷重に応じて、プーリーを5枚にしたり、さらにこのプーリーブロックを3台使用して、1 - 2本マストを増設することも行われた。このクレーンはポリスパストス(polyspastos)と呼ばれ、4人ずつがクレーンの両側に配置されることで、合計3,000キログラムを吊り上げられた(ロープ3本 × {\displaystyle \times } プーリー5枚 × {\displaystyle \times } 4人 × {\displaystyle \times } 50キログラム = {\displaystyle =} 3,000キログラム)。ウインチの代わりに、直径が大きいトレッドウイールを用いると、半分の人数で二倍の6,000キログラムを吊り上げられた。古代エジプトのピラミッドではスロープを利用して2.5トンの石材を50人で積み重ねたのに対して、古代ローマでは1人で3トンを吊り上げており、60倍効率が良かった[10]

しかし、現存する数多くの古代ローマ建築では、ポリスパストスで吊り上げられるよりも重い石材が使われており、一台のクレーンの能力以上のものを吊り上げる方法があったことが分かる。例えば、バールベックのジュピター神殿では、アーキトレーブに使われた石材は60トンあり、コーニスの端の石材は100トン以上である上、これらは全て約19メートルの高さに設置されている[9]。また、トラヤヌスの記念柱では、高さ34メートルにある柱頭の石材は53.3トンもある(詳細は、トラヤヌスの記念柱#建設を参照のこと)[11]

こういった特別に重いものを吊り上げるには、以下の方法が取られたと考えられる(下記のルネッサンス時代も参照のこと)。まず、ヘロンによって示唆されているように、吊り上げ塔の4つのマストを四角形と平行に並べ、攻城塔とは違って、中央に柱を据える(Mechanica 3.5) [11]。そして、キャプスタンを吊り上げ塔の周りに配置する。キャプスタンは、トレッドウイールよりも効率は落ちるが、沢山の人や使役動物を配置できる利点があった[11]。このようなキャプスタンの使い方は、357年チルコ・マッシモオベリスク建設記録の中で、アンミアヌス・マルケリヌス(17.4.15)も触れている。キャプスタン単体の吊り上げ能力は、石材の吊り穴の数から推測できる。バールベックのアーキトレーブの場合、石材が55 - 60トンあるのに対して、吊り穴は8箇所であり、穴1箇所あたり、即ちキャプスタン1台あたり、7.5トンを吊り上げられたと考えられる[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef