クレモナ
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この項目では、イタリア北部の都市について説明しています。その他の用法については「クレモナ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

クレモナ
Cremona
クレモナ大聖堂と洗礼堂
行政
イタリア
ロンバルディア
県/大都市 クレモーナ
CAP(郵便番号)26100
市外局番0372
ISTATコード019036
識別コードD150
分離集落Cavatigozzi, San Savino, San Felice
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口71,523 [1] 人 (2021-01-01)
人口密度1,016.1 人/km2
文化
住民の呼称cremonesi
守護聖人聖オモボノ (Sant'Omobono)
祝祭日11月13日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度08分 東経10度02分 / 北緯45.133度 東経10.033度 / 45.133; 10.033座標: 北緯45度08分 東経10度02分 / 北緯45.133度 東経10.033度 / 45.133; 10.033
標高45 (36 - 52) [2] m
面積70.39 [3] km2
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クレモナ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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クレモナ(イタリア語: Cremona ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州にある都市で、その周辺地域を含む人口約7万2000人の基礎自治体コムーネ)。クレモナ県の県都である。

ポー川中流の左岸にある。
名称

Cremona は [kre?mona] [4]と発音される。日本語文献では「クレモナ」[5][6]のほか、「クレモーナ」[7][8]とも記される。
地理
位置・広がり

クレモナ県中部のコムーネである。クレモナの市街はポー川中流の左岸、ピアチェンツァの東北東約28km、パルマの北西約44km、ブレシアの南南東約48km、州都ミラノの東南東約75kmに位置する。
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。カッコは県名略記号

ボネメルセ

カステルヴェルデ

カステルヴェトロ・ピアチェンティーノ (PC)

ガデスコ=ピエーヴェ・デルモーナ

ジェッレ・デ・カプリオーリ

マラニーノ

モンティチェッリ・ドンジーナ (PC)

ペルシコ・ドージモ

セスト・エドゥニーティ

スピナデスコ

スターニョ・ロンバルド

気候分類・地震分類

気候分類では、zona E, 2389 GGに分類される[9]。また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicita bassa) に分類される[10]
歴史
古代

クレモナが最初に歴史に登場するのは、紀元前4世紀頃ポー川谷に辿り着いたガリアケルト系のケノマニ人の定住地としてである。しかし、クレモナの名はおそらく、より古い定住者の時代に遡る。クレモナの由来は多くの風変わりな解釈が与えられており、古代に関する研究を混乱させた。現代の学者らは、ロシアクレムリン(kremlin)に含まれるクレム(krem)につながりがあるとみている。クレムリンは『高い地面』を表しているので、周りは湿地であったことになる。

紀元前218年古代ローマがポー川の北にあるその場所に初の軍事的前哨地点を築いた(コロニア )ので、その古い名が残った。クレモナと近郊のプラケンティア(現在のピアチェンツァ、ポー川南岸)はケンソルたるガイウス・フラミニウスの尽力により同じ年につくられた。ローマ属州ガリア・キサルピナとなるのを見越していたことが基礎にあった。クレモナは急速に北イタリア最大の町の一つとなり、ジェノヴァからアクイレイアを通るポストゥミア街道が主要道であった。それはガイウス・ユリウス・カエサルへ軍を供給し、彼の支配から利益を得た。

しかし、後にクレモナはアウグストゥスと対立するマルクス・ユニウス・ブルトゥス元老院を支援した。彼らは紀元前40年にもクレモナの土地を没収し、自分の部下らに再配分した。著名な詩人ウェルギリウスはクレモナで学校教育を受け、父祖の土地を没収されてしまっていたが、後にこの時割譲した土地は返還された。市の繁栄は紀元69年まで続いた。2度目のベドリアクムの戦いウェスパシアヌス軍によってクレモナは破壊された。当時ウェスパシアヌスは、対抗するウィテリウスと皇帝の座をめぐって戦っていた。

クレモナはウェスパシアヌスの支援を受けて再建されたが、かつての繁栄を取り戻すのに失敗し、6世紀まで歴史から姿を消した。しかし、ゴート戦争の最中に東ローマ帝国の軍事的要所として再浮上することとなる。
中世初期

ロンゴバルド族がイタリアを6世紀半ばに征服した時、クレモナはラヴェンナ総督領の一部として東ローマ帝国の要所のままであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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