クレメンス8世_(ローマ教皇)
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "クレメンス8世" ローマ教皇 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年8月)

クレメンス8世
第231代 ローマ教皇

教皇就任1592年1月30日
教皇離任1605年3月3日
先代インノケンティウス9世
次代レオ11世
個人情報
本名イッポリト・アルドブランディーニ
Ippolito Aldobrandini
出生 (1536-02-24) 1536年2月24日
教皇領ファーノ
死去 (1605-03-03) 1605年3月3日(69歳没)
教皇領ローマ教皇宮殿
その他のクレメンス
テンプレートを表示

クレメンス8世(Clemens VIII, 1536年2月24日 - 1605年3月3日[1])は、第231代ローマ教皇(在位:1592年 - 1605年)。本名はイッポーリト・アルドブランディーニ(Ippolito Aldobrandini)。この時代の教皇としては珍しく、聖職者としても政治家としても優れた人物として評価されているが、ジョルダーノ・ブルーノベアトリーチェ・チェンチとその家族の処刑を許したことなどは後世の評価に汚点を残すことになった。またブレスト合同1596年)の祝福は東西教会の亀裂を深めた。
生涯

クレメンス8世が教皇に選ばれたのは1592年1月のことである。学問を好んだ教皇は同年にイエズス会ロベルト・ベラルミーノらによって構成された委員会によって進められていたヴルガータ訳の聖書の改訂版を発行させている。これが「シクストゥス・クレメンティーノ版」と呼ばれるヴルガータ聖書であり、20世紀に入るまでカトリック教会の公式ラテン語聖書となった。教皇は同時に宣教事業にも力を注ぎ、フランシスコ・サレジオの宣教活動を支援している。

クレメンス8世の在位中の出来事でもっとも重要なものは、1593年に長い交渉の末にフランスアンリ4世との和解を成立させ、その破門を解除したことである。これはドサー枢機卿の手腕によるところが大きい。同年、サン・ピエトロ大聖堂のドーム頂上に十字架が据えつけられ、1594年に新しい祭壇で初めてミサを行った(まだ建設工事は続き、献堂式は後の1624年になる)。

1598年、フランスとスペインの間を取り持ってのヴェルヴァン条約でこれを和解させた。同年、クレメンス8世は統治者エステ家の継承者不在からフェラーラ教皇領に加えたが、これが教皇領への最後の大きな併合となった。

1600年2月17日に聖年を祝っていたローマで、ジョルダーノ・ブルーノが異端審問を受けて火刑に処されたことは、教皇の経歴に大きな汚点を残すことになった。また、前年の1599年ベアトリーチェ・チェンチとその家族を処刑した際にはローマ市民の暴動が起き、多数の死傷者が出た。このことから市民からの信頼が失墜した教皇は、部屋に引き篭もるようになる。

教皇自身は、有徳の聖職者で有能な政治家という高い評価を受けていた。彼は、スペインよりの教皇庁のあり方を修正すべく努力し、それを成し遂げた。また、この時代に盛んになっていた自由意志論争において、イエズス会ドミニコ会が激しく争ったが、教皇は結論を出すことでどちらかに軍配をあげる結果になることを避けた。1605年に動脈硬化で死去した。彼の時代に鋳造された多くの美しいメダルは今でも残っている。
教皇とコーヒー

この時代、トルコからヨーロッパにコーヒーが入ってきた。教皇自身もコーヒーが好きでよく飲んでいたため、次のような真偽不明の話が生まれた。あるとき教皇の側近が「コーヒーはムスリム(イスラム教徒)の飲み物で悪魔のものだから禁止しては?」と進言した。
教皇は答えた。「それにしても悪魔はいいものを飲んでいる。いっそのことコーヒーに洗礼を授けてこちらのものにしてしまってはどうだろうか……」
注釈・出典^ Clement VIII pope Encyclopadia Britannica










ローマ教皇(第231代: 1592年 - 1605年)
古代

ペトロ33?-67? / リヌス66?-78? / アナクレトゥス79?-91? / クレメンス1世91-101 / エウァリストゥス101-108 / アレクサンデル1世109-116 / シクストゥス1世116-125 / テレスフォルス125-136 / ヒギヌス136-142 / ピウス1世142-155 / アニケトゥス155-167 / ソテル167-174 / エレウテルス175-189 / ウィクトル1世189-199 / ゼフィリヌス199-217 / カリストゥス1世217-222 / ウルバヌス1世222-230 / ポンティアヌス230-235 / アンテルス235-236 / ファビアヌス236-250 / コルネリウス251-253 / ルキウス253-254 / ステファヌス1世254-257 / シクストゥス2世257-258 / ディオニュシウス259-268 / フェリクス1世269-274 / エウティキアヌス275-283 / カイウス283-296 / マルケリヌス296-304 / マルケルス1世306-309 / エウセビウス310 / ミルティアデス311-314 / シルウェステル1世314-335 / マルクス336 / ユリウス1世337-352 / リベリウス352-366 / ダマスス1世366-384 / シリキウス384-399 / アナスタシウス1世399-401 / インノケンティウス1世401-417 / ゾシムス417-418 / ボニファティウス1世418-422 / ケレスティヌス1世422-432 / シクストゥス3世432-440 / レオ1世440-461 / ヒラルス461-468 / シンプリキウス468-483


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef