クレサーレ
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クレサーレ
Kuresaare

クレサーレ城


市旗市章

位置

クレサーレの位置
地図
座標 : 北緯58度15分 東経22度29分 / 北緯58.250度 東経22.483度 / 58.250; 22.483
行政
 エストニア
 県サーレ
 行政区画クレサーレ
 市クレサーレ
市長Urve Tiidus
地理
面積 
  市域14.95 km2
標高5 m
人口
人口(2007年現在)
  市域14,898人
    人口密度  996.52人/km2
その他
等時帯東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号93813
公式ウェブサイト : ⇒www.kuressaare.ee

クレサーレ (エストニア語:Kuressaare、ドイツ語:Arensburg)は、エストニアサーレマー島にある都市。クレッサーレとも。リガ湾に面している。
目次

1 歴史

2 出身の著名人

3 姉妹都市

4 外部リンク

歴史

クレサーレが最初に歴史に登場したのは1422年である。町は司教邸宅(1381年にラテン語名アルクス・アクイラエとして記載あり)周辺で発展した。

1559年、エゼル=ヴィーク司教公(en:Bishopric of Osel-Wiek)からデンマークへと町は売却された。1563年にホルシュタイン公マグヌス(en:Magnus, Duke of Holstein)からリガに与えられた市民憲章をモデルとした、市民憲章を町は獲得した。

1645年、トルステンソン戦争後に締結されたブレムセブルー条約によって、町はスウェーデン支配下に入った。クレサーレは当時ドイツ語で公式にアレンスブルク、スウェーデン語でアレンスベリとして知られていた。

大北方戦争中の1710年、町はロシア帝国軍によって火を放たれ焼け落ちた。1721年のニスタット条約において、町はロシア領とされた。18世紀の間クレサーレは大衆的なリゾート地であった。

第一次世界大戦でエストニアが独立を宣言すると、町の名はエストニア語のクレサーレに改名された。ソビエト連邦に含まれていた1952年から1988年まで、クレサーレ出身のボリシェヴィキであるヴィクトル・キンギセップにちなみ、町はキンギセパ(Kingissepa)と呼ばれていた。1990年10月、クレサーレはエストニア初の自治都市となった。
出身の著名人

ルイス・I・カーン

姉妹都市

エケネス、フィンランド

レンネ、デンマーク

マリエハムンオーランド諸島

シェウヴデ、スウェーデン

ヴァンマラ、フィンランド

トゥルク、フィンランド

タルシ、ラトビア

クールネ、ベルギー

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、クレサーレに関連するカテゴリがあります。

(英語) ⇒Kuressaare.ee - Official Website

更新日時:2019年6月22日(土)15:37
取得日時:2019/08/18 16:11


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