クレオパトラ2世
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クレオパトラ2世(ルーブル美術館

クレオパトラ2世(ギリシア語: Κλεοπ?τρα Β'、ラテン文字表記:Cleopatra II Philometora Soteira、紀元前185年頃 - 紀元前116年)は、古代エジプトプトレマイオス朝ファラオ・女王(在位:紀元前173年 - 紀元前164年紀元前163年 - 紀元前127年紀元前124年 - 紀元前116年)。父はプトレマイオス5世、母はクレオパトラ1世プトレマイオス6世フィロメトルプトレマイオス8世フュスコンの姉妹で、それぞれの后となった。プトレマイオス6世との子にプトレマイオス7世クレオパトラ3世コッケクレオパトラ・テアがいる。
生涯

紀元前173年プトレマイオス6世フィロメトルと結婚。紀元前170年、夫の弟プトレマイオス8世フュスコンとの共同統治の下、シリアアンティオコス4世との戦争に臨む。紀元前168年ローマの援助もあり、シリアの侵略を退けることに成功した。その後、夫とフュスコンの権力闘争が激化し、ローマ調停の下で夫フィロメトルがエジプトの統治者となる(紀元前163年)。

紀元前145年、夫フィロメトルが死去し、キュレネ王となっていたフュスコンと結婚し、統治者とした。この際、プトレマイオス7世はフュスコンとクレオパトラ2世の結婚式の日に殺害されたと言われる。紀元前142年、フュスコンが、クレオパトラ2世の娘クレオパトラ3世コッケを后としたため、フュスコン・コッケとの関係が悪化した。

紀元前131年、クレオパトラ2世は夫に対する反乱を起こし、フュスコンとコッケを追放して、フュスコンとの子プトレマイオス・メンフィティスを王と宣言した。メンフィティスはまもなくフュスコンに殺害され、彼女はシリアのデメトリオス2世と同盟を結んだ。紀元前127年にはシリアへ逃走するも、紀元前124年、フュスコンとの和解が成立。フュスコン・コッケとの三頭体制が復活し、紀元前116年、夫の死後まもなく死去した。










プトレマイオス朝のファラオ


プトレマイオス1世前305?前285

ベレニケ1世????前285

プトレマイオス2世前285?前246

アルシノエ1世前284?前274

アルシノエ2世前277?前270

プトレマイオス3世前246?前222

ベレニケ2世前244?前222

プトレマイオス4世前222?前204

アルシノエ3世前220?前204

プトレマイオス5世前204?前180

クレオパトラ1世前193?前176

プトレマイオス6世前180?前164

クレオパトラ2世前173?前164

プトレマイオス8世前171?前163

プトレマイオス6世(復位)前163?前145

クレオパトラ2世(復位)前163?前127

プトレマイオス7世前145?前144

プトレマイオス8世(復位)前145?前131

クレオパトラ3世前142?前131

プトレマイオス8世(復位)前127?前116

クレオパトラ3世(復位)前127?前107

クレオパトラ2世(復位)前124?前116

プトレマイオス9世前116?前110

クレオパトラ4世前116?前115

クレオパトラ5世前115?前107

プトレマイオス10世前110?前109

プトレマイオス9世(復位)前109?前107

プトレマイオス10世(復位)前107?前88

プトレマイオス9世(復位)前88?前81

ベレニケ3世前81?前80

プトレマイオス11世前80

プトレマイオス12世前80?前58

クレオパトラ6世前79-前57

ベレニケ4世前58?前55


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