クレイ・リサーチ
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クレイ・インコーポレイテッド
Cray Inc.

種類子会社HPEが親会社)
市場情報NASDAQ: CRAY
本社所在地 アメリカ合衆国ワシントン州シアトル
設立1972年(クレイ・リサーチ)
業種電気機器
事業内容スーパーコンピュータ
従業員数800
関係する人物シーモア・クレイ
外部リンクcray.com
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クレイ・インコーポレイテッド (Cray Inc) は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルスーパーコンピュータ製造企業である。

その前身であるクレイ・リサーチ (Cray Research, Inc., CRI) は1972年にコンピュータ設計者シーモア・クレイによって設立された。1989年、シーモア・クレイは自身の会社クレイ・コンピュータ (Cray Computer Corporation = CCC) を別に設立したが、こちらの会社は1995年に倒産している。1996年、クレイ・リサーチはSGIに買収された。2000年にテラ・コンピュータがSGIからクレイ・リサーチを買い受け、テラ・コンピュータとクレイ・リサーチが合併してクレイ・インコーポレイテッドとなった。2019年ヒューレット・パッカード・エンタープライズ (HPE) に買収され、公開会社からHPEの子会社となった。ちなみに、かつての親会社であったSGIも2016年にHPEに買収されている。
背景: 1950 - 1972

シーモア・クレイは1950年にコンピュータ業界で働き始めた(このあたりの経緯についてはコントロール・データ・コーポレーションの項も参照されたい)。まず ERA (Engineering Research Associates(英語版)) で ERA 1103 の開発に携わった。ERAはUNIVACの一部となり、徐々に縮小される。1960年、クレイは会社を辞め、数年前にERAの同僚らが設立したコントロール・データ・コーポレーション (CDC) に参加。しかし数年後、自身の研究所を故郷のウィスコンシン州チッペワフォールズ(英語版)に設立し、CDCから設計開発を請け負う形となった。CDCでは、CDC 6600CDC 7600 といったコンピュータを設計し成功を収めた。
クレイ・リサーチとクレイ・コンピュータ: 1972 - 1996Cray-2 スーパーコンピュータ

1960年代末、CDCは財政難に陥り、クレイが開発中だった CDC 8600 への開発資金が不足するようになった。1972年、プロジェクトの中止が決定されると、クレイは自身の会社クレイ・リサーチを設立した。研究開発拠点はチッペワフォールズで、本社はミネアポリスに置いている。同社の最初の製品 Cray-1 スーパーコンピュータは大きな成功を収める。当時世界最高速のコンピュータとなった。最初のシステムはリリース後1カ月で880万USドルで売れている。その後、シーモア・クレイはさらにCray-2を開発したが、出来上がってみると社内の別チームが設計したCray X-MPより若干高速という程度であった。

彼は即座にCEOを辞し、独立した契約技術者という立場になる。1979年、Cray-2のための新たな研究所Cray Labsをコロラド州ボルダーに設立した。この研究所は1982年にいったん廃止されたが、1989年にクレイ・リサーチからスピンオフし、クレイ・コンピュータ (Cray Computer Corporation、CCC) となった。シーモア・クレイはそこでCray-3プロジェクトに携わる。初めてガリウムヒ素 (GaAs) 半導体をコンピュータに使用する計画だった。しかし政治情勢が変わり(ワルシャワ条約機構が崩壊し、冷戦が終わったため)、Cray-3はほとんど売れなかった(実際に納入されたのは1台だけである)。クレイ・コンピュータは急激に傾き、1995年に倒産した。クレイ・コンピュータの残されたものからシーモア・クレイ最後の会社SRC Computerが設立され、こちらは現在も残っている。

クレイ・リサーチはスティーブ・チェンの設計したX-MPから始まったシリーズを開発し続けた。スティーブ・チェンが同社を去った後、Cray Y-MP、Cray C90、Cray T90と開発していった。これらのマシンは基本的にCray-1を複数台内蔵しているようなアーキテクチャである。X-MPは2?4台、後のマシンでは最高32台である。また、クロック周波数を高くし、ベクトルプロセッサの幅を拡大している。Cray-2プロジェクトが頼りない結果で終わったため、Crayの命令セットを利用した低価格な擬似Crayを作る企業が出てきた。Scientific Computer Systems (SCS)、American Supercomputer、Supertekなどがそれである。これらはクレイと対抗するという類のものではなく、もっと安価で低性能なCMOSを使ったX-MP互換マシンを作っていたのである。Cray T3E のプロセッサ基板

1980年代終盤、高性能マシンの市場は超並列コンピュータに席巻される。シンキング・マシンズ、ケンドール・スクエア・リサーチ(英語版)、インテルのスーパーコンピューティング・システム部門、nCUBE、MasPar(英語版)、Meiko Scientific(英語版)などである。当初、クレイ・リサーチはこの手法を全く相手にしていなかった。超並列マシンを効率的に使うソフトウェアを作るのは困難と考えていたのである。これはILLIAC IVの時代には正しかったが、その頃には必ずしも真ではなかった。ついにクレイ社もそれが進化の唯一の道であると理解し、5年をかけた研究プロジェクトを開始し、追いつこうとした。その結果は DEC Alpha ベースの Cray T3DCray T3E のシリーズで、皮肉なことにこれによってクレイは2000年のアメリカの市場で唯一のスーパーコンピュータメーカーとなっていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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