この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にジェルジュ・クルターグと表記することもあります。
クルターグ・ジェルジュ
Kurtag Gyorgy
2002年5月
王立音楽アカデミーにて
基本情報
生誕 (1926-02-19) 1926年2月19日(93歳)
ルーマニア、ルゴジ
職業作曲家、ピアニスト
バルトーク
マリンシュテイン
ウェーベルン
クルターグ・ジェルジュ(Kurtag Gyorgy [?kurt???? ??or?], 1926年2月19日 ルーマニア・ルゴジ Lugoj
(旧ハンガリー・ルゴシュ) - )は、ルーマニア出身のハンガリー人の作曲家、ピアニスト、室内楽の教授。バルトーク、マリンシュテイン、ウェーベルンらの影響を受けており、表現主義においてウェーベルンの後継者と言われている。1950年代前半、ハンガリーではスターリン主義政権によりバルトークの後期作品は禁止されており、50年代後半までシェーンベルクや中後期のストラヴィンスキーの音楽が禁止されていた。この束縛を逃れるため、ハンガリー動乱後の1957年から1958年にかけてパリに留学し、ダリウス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンの授業に出席した。この頃、ウェーベルン、サミュエル・ベケットの演劇から影響を受け、自身の音楽的思考へ深化させる。この結果が、1959年にブダペストに帰ってから作曲された『弦楽四重奏曲Op.1』である。また、この時期にハンガリー人で芸術心理学者のマリアンヌ・シュタインと共に働く。彼は、最も深い影響を受けた人物として、少年時代テメシュヴァール(ルーマニア地名 ティミショアラ)で指導を受けたカルドシュ・マグダとマリアンヌ・シュタインの名をあげている。『弦楽四重奏曲Op.1』と後の『カフカ断章』はマリアンヌ・シュタインに献呈されている。
1958年から1963年までブダペストのバルトーク・ベーラ音楽高校、1960年から1968年までハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団のトレーナーを務める。1967年、フランツ・リスト音楽院の教授となる。最初はピアノ、後に室内楽を教える。教え子にはシフ・アンドラーシュ、コチシュ・ゾルターンらがいる。1971年、Deutscher Akademischer Austauschdienst (DAAD) の奨学金を得て西ベルリンに滞在する。1973年、ハンガリーのKossuth賞受賞、1985年フランス政府から芸術文化勲章を授与される。 1981年にパリでチェンゲリ・アドリエンヌ
作曲作品の演奏
1986年に音楽院を退職するが、1993年までいくつかのクラスで教えた。1993年から1995年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のレジデンス作曲家を務め、1994年『石碑 Op.33』はクラウディオ・アバド指揮で初演された。