クルガン文化
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クルガン仮説による「クルガン」文化の変遷と拡大 クルガン仮説によるインド・ヨーロッパ語族の拡大例

クルガン仮説 (クルガンかせつ、Kurgan hypothesis) は、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語話し手であったとする仮説である。
目次

1 提唱

2 仮説の内容

3 クルガン文化の拡大段階

4 第2の「(ヨーロッパ人の)原郷」

5 解釈

6 クルガン文化の担い手の遺伝的特徴

7 対立仮説

8 出典

9 参考文献

10 外部リンク

提唱

1956年マリヤ・ギンブタス Marija Gimbutas は、彼女の「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱した。

ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへ伝播していったことをつきとめた。この仮説は、インド・ヨーロッパ語族の研究に重要な影響を与えた。ギンブタスを支持する研究者たちは、クルガン文化には、紀元前5千年紀から紀元前3千年紀にステップヨーロッパ南東部に存在した原インド・ヨーロッパ語族の民族的特徴が反映されていると考えている。
仮説の内容

クルガンが原インド・ヨーロッパ語族のものであるというクルガン仮説は、黒海の周りに広がるポントス=ステップ全体に漸進的にひろがっていくクルガン文化を想定している。そのうち、「クルガンIV期」とされるのは、ヤームナヤ文化(若しくは「竪穴墓」文化)に比定されている。

ステップを越えてひろがるクルガン文化は、高度に発展した文化となり、紀元前2500年前後では、西方ではバルカン半島に住み着くことになる原ギリシャ人の球状アンフォラを伴う文化(球状アンフォラ文化)となり、東方では、インド・イラン系の遊牧民文化を形成した。馬の家畜化は、馬を使用した戦車を生み出すことになり、クルガン文化を大きく変貌させ、クルガン文化がヤームナヤ地方全域に波及するのを促進させた。このことは、クルガン仮説において、黒海周辺のステップ全体に原インド・ヨーロッパ語族がひろがっていき、後に地域ごとに異なる方言として言語が多様に分化していった契機となったと考えられている。

原郷 (Urheimat) 」と考えられている場所は、地図上は、ヴォルガ川の近くであって、最初に乗馬という習慣が発生したと考えられる場所とされている。そしてこれは、最初のインド・ヨーロッパ語族ないし先行インド・ヨーロッパ語族の核をなす民族の発生した紀元前5千年紀に対応するものと考えられている。
クルガン文化の拡大段階

ギンブタスは、クルガン文化を4つの連続する時期に区分する。

クルガンI期は、
ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方で紀元前4千年紀の前半に起こった。サマラ文化スレドニ・ストグ文化クヴァリンスク文化、セログラソフカ文化 (Seroglasovka culture) を含んでいる。特に、スレドニ・ストグ文化はクルガンを築かないものの、人類による馬の家畜化の起源ではないかと考えられている。

クルガンII期からIII期は、紀元前4千年紀の後半にあたる。それぞれスレドニ・ストグ文化マイコープ文化が含まれる。マイコープ文化はさかんにクルガンを築くことで知られる。

クルガンIV期ないしヤムナ文化、は紀元前3千年紀前半に当たる。この文化は、ウラル川からルーマニアまで至るステップ全体に拡大した。

そして、三つの拡大の波があったと考えている。

第一の波は、クルガンI期に先行し、ヴォルガ川下流域からドニエプル川流域にひろがった。クルガンI期の文化、特にスレドニ・ストグ文化ククテニ文化 (Cucuteni) と共存している。民族移動が繰り返されることによって、クルガンI期の文化の影響がバルカン半島にまで及ぼされ、ドナウ川流域に沿ってハンガリーにヴィンツァ文化 (Vinca) やレンジェル文化 (Lengyel) が生まれることとなった。


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