クリーブランド_(オハイオ州)
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「クリーブランド」はこの項目へ転送されています。第22代・第24代アメリカ合衆国大統領については「グロバー・クリーブランド」を、その他の用法については「クリーブランド (曖昧さ回避)」をご覧ください。

クリーブランド市
City of Cleveland


市旗市章

愛称 : The Forest City(森の街)
標語 : "Progress & Prosperity(進歩と繁栄)"
位置

左:オハイオ州におけるカヤホガ郡の位置
右:カヤホガ郡におけるクリーブランドの位置
位置
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エリー湖南岸に位置するクリーブランド

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度28分56秒 西経81度40分11秒 / 北緯41.48222度 西経81.66972度 / 41.48222; -81.66972
歴史
入植開始1796年
行政
アメリカ合衆国
  オハイオ州
 カヤホガ郡
 市クリーブランド市
市長ジャスティン・ビブ(英語版)(民主党
地理
面積 
  市域213.4 km2 (82.4 mi2)
    陸上  201.0 km2 (77.6 mi2)
    水面  12.5 km2 (4.8 mi2)
標高199 m (653 ft)
人口
人口2020年現在)
  市域372,624人
    人口密度  1,853.9人/km2(4,801.9人/mi2)
  都市圏2,088,251人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.city.cleveland.oh.us/index1.html

クリーブランド(Cleveland)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。エリー湖の南岸、ペンシルベニア州との州境から西へ約100km、州都コロンバスから北東へ約220kmに位置する。人口は372,624人(2020年国勢調査[1]で、オハイオ州内ではコロンバスに次ぐ第2の都市である。クリーブランドを中心とするクリーブランド都市圏は人口2,088,251人、また、クリーブランドの南約60kmに位置し、タイヤの町として知られるアクロンや、その南にあり、プロフットボール殿堂で知られるカントンなどを含む広域都市圏は人口3,633,962人(ともに2020年国勢調査)を数える[2]
概要

市は1796年カヤホガ川がエリー湖に流れ込む河口の近くに創設され、いくつもの運河や鉄道の起点となる立地から工業都市として発展した。かつてはオハイオ州最大、全米でも上位10位以内に入る大都市であったが、1960年代以降、それまで市の経済を支えていた重工業は衰退し、市の地位も低下していった。工業の衰退に伴って、金融、保険、ヘルスケア産業などサービス業を主体とする経済に移行していった。また変わったところでは、クリーブランドはロックンロールの歴史においても重要な位置を占めている。1951年、クリーブランドのDJ、アラン・フリードリズム・アンド・ブルースをロックンロールと呼び、若者にロックンロールを流行させた。エリー湖の湖畔にはロックの殿堂が建っている[3]

2010年の『フォーブス』紙の調査では、クリーブランドは、米国で最も惨めな都市に挙げられている[4]。しかし、こうした評価はここ数年のもので、2005年の『エコノミスト』紙の調査では、クリーブランドはピッツバーグと並んで、全米で最も住みやすい都市の1つに挙げられている[5]。また同年の別の号では、同誌はクリーブランドをアメリカ合衆国本土48州で最もビジネスミーティングに適した都市として挙げた[6]。しかし、一部の地区における貧困層の集中や教育改善のための資金不足など、クリーブランドはなおも大きな問題に直面している[7]。また、治安も大きな問題と化しており、2007年度の「全米危険な街ランキング」では第7位に挙げられるなど、数年で評価が一変している[8]。2013年には10年近く誘拐監禁されていた女性3人が発見されるクリーブランド監禁事件が起こっている。

クリーブランドの住民は「クリーブランダー」とよく呼ばれる。初期においては、クリーブランドはThe Forest City(森の街)と呼ばれた。20世紀初頭に隆盛を迎えようとしていたとき、市はSixth City(第6の街)と呼ばれた[9]。一方、市が衰退の一途をたどっていた1960年代から1970年代にかけては、Mistake on the Lake(湖岸の過ち)と呼ばれた。近年つけられた市の別名には、Metropolis of the Western Reserve(西部保留地のメトロポリス)[10]、The New American City(新しいアメリカの街)[11]、America's North Coast(アメリカの北海岸)[12]、C-Town[13] などがある。
歴史

クリーブランドは1796年6月22日、現在のオハイオ州北部にあたるコネチカット州西部保留地の首都として建設された。クリーブランドという地名はコネチカット西部保留地の設置者であるコネチカット土地会社を率いていたモーゼス・クリーブランド将軍(Moses Cleaveland)からつけられた。それゆえ、当時の地名はCleavelandという綴りであった。モーゼス・クリーブランドはパブリック・スクエアを中心とした近代的なダウンタウンの開発計画を見渡すとコネチカットに帰り、その後オハイオに戻ることはなかった。西部保留地の地図。クリーブランドは地図のちょうど中央付近に描かれている。1826年


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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