クリント・ハードル
Clint Hurdleピッツバーグ・パイレーツでの監督時代
(2015年12月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ミシガン州メコスタ郡ビッグラピッズ
クリントン・メリック・ハードル(Clinton Merrick "Clint" Hurdle, 1957年7月30日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州メコスタ郡ビッグラピッズ(英語版)出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。右投左打。 1975年のMLBドラフト1巡目(全体9位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され契約。1977年9月18日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。しかし、レギュラーで出場したのは1978年と1980年だけだった。1980年にワールドシリーズに出場したが、フィラデルフィア・フィリーズに2勝4敗で敗れている。 1981年オフにシンシナティ・レッズに移籍。その後、ニューヨーク・メッツ、セントルイス・カージナルスでプレーしたが目立った成績は残せず、1987年に現役を引退。 1988年にメッツ傘下A級セントルーシー・メッツの監督に就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。1990年からメッツ傘下AA級の監督を2年間、1992年からメッツ傘下AAA級ノーフォーク・タイズの監督を2年間務めた。1994年にコロラド・ロッキーズ傘下のマイナーの打撃インストラクターとなり、1997年にロッキーズの打撃コーチに就任。2002年4月26日、開幕から6勝16敗の時点で解任されたバディ・ベルの後を受けロッキーズの第4代監督に就任。 監督就任以来、一度も勝率5割を超えられず、ナショナルリーグ西地区で4位・4位・4位・5位・4位と最下位争いをしていたが、就任6年目の2007年に若手主体のチームをまとめ、球団記録の90勝を挙げワイルドカードでプレーオフ進出。さらにプレーオフ7連勝の快進撃で、チームを球団創設以来初のワールドシリーズに導いた(しかしボストン・レッドソックスに4連敗で敗退)。 翌2008年は74勝88敗の地区3位でプレーオフ進出を逃した。2009年5月29日、成績不振(18勝28敗)によりシーズン途中でロッキーズの監督を解任された。解任後、MLBネットワークで解説者を務めた。 2010年、テキサス・レンジャーズの打撃コーチとなり、チームのワールドシリーズ初進出に貢献する。11月15日、2011年からの3年契約でピッツバーグ・パイレーツの監督に就任した[1] 。 パイレーツの監督としては2011年、2012年と2年続けて7月末頃までポストシーズン進出争いを演じるも、終盤になるとチームが失速、ハードルが監督に就く前から続いているレギュラーシーズンの連続負け越しを止めるまでには至っていない。 2013年は、開幕から快進撃を続け、地区首位を走る。9月9日のレンジャーズ戦に勝利したことで、シーズン勝ち越しが決まり、1993年から続くレギュラーシーズンの連続負け越しを20年でストップさせた。最終的に地区2位、ワイルドカードゲームでシンシナティ・レッズに勝利し、地区シリーズに進出する。しかし、セントルイス・カージナルスに敗北し、チャンピオンシップシリーズ進出はならなかったが、この功績を認められ2013年度の最優秀監督賞を受賞した。監督は2019年シーズン終了をもって解任されるまで続けた[2]。 年
経歴
選手時代
監督時代
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1977KC9282658002147000020070.308.357.538.896
19781334814174811025571665613165611846.264.348.398.746
19795920417116411033663001042841244.240.343.386.729
1980130438395501163121018160002534526111.294.349.458.807
19812889761225314421500001330102.329.427.553.980
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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