クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い
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クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い

部隊の動きを示す1777年の軍事地図。右が北、2つの砦は右手の支流の両岸に並んでいる。
戦争:アメリカ独立戦争
年月日:1777年10月6日
場所:ニューヨーク州 ウェストポイントの南15マイル (24 km)
結果:イギリス軍の勝利
交戦勢力
大陸軍イギリス軍
指導者・指揮官
ジョージ・クリントン
ジェイムズ・クリントン
イズラエル・パットナムヘンリー・クリントン
ジョン・ボーン
ジェイムズ・ウォレス
戦力
600[1]2,100[2]
損害
死傷者:75名[3]
捕虜:263名[4]戦死:41名、負傷:142名[4]
アメリカ独立戦争
大区分

西部戦線 - 南部戦線 - ボストン方面作戦 - カナダ侵攻作戦 - ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦 - サラトガ方面作戦 - フィラデルフィア方面作戦
小区分

レキシントン・コンコード - ボストン - バンカーヒル - グレートブリッジ - ロングアイランド - ホワイト・プレインズ - トレントン - プリンストン - オリスカニー - ベニントン - ブランディワイン - サラトガ - ジャーマンタウン - ホワイトマーシュ - モンマス - ジブラルタル - ロードアイランド - ワックスホー - スプリングフィールド - キャムデン - キングスマウンテン - カウペンス - ギルフォード - ホブカークスヒル - グリーンスプリング - ユートースプリングス - ヨークタウン - ブルーリックス

海戦

アメリカ独立戦争の海軍作戦行動 - バルカー島 - 第1次ウェサン島 - サン・ビセンテ岬 - マルティニーク島 - ポルト・プラヤ - ドッガー・バンク - チェサピーク湾 - 第2次ウェサン島 - セインツ


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クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い (: Battle of Forts Clinton and Montgomery)は、アメリカ独立戦争中の1777年10月6日ニューヨーク州ウェストポイントからさほど離れていないハドソン川沿い高台で起こったアメリカ大陸軍イギリス軍との戦いであり、サラトガ方面作戦の一部とされる。ヘンリー・クリントン将軍の指揮するイギリス軍がクリントン砦とモントゴメリー砦を占領し、ハドソン川に張られていた船舶止めの鎖を外した。この攻撃の目的はジョン・バーゴイン将軍の指揮するもう一つのイギリス軍とサラトガ近くで対峙するホレイショ・ゲイツ将軍の指揮する大陸軍の矛先を逸らさせようとする陽動行動だった。

2つの砦にはジョージ・クリントン将軍(ニューヨーク邦知事)とジェイムズ・クリントン将軍の兄弟が指揮する約600名の大陸軍兵が守っていた。イズラエル・パットナム将軍の指揮する別働隊が近くのピークスキルにいた。この戦闘は両軍の指揮官がクリントンだったので、「クリントンの戦い」と呼ばれることがある。大陸軍のクリントン兄弟はイギリス軍のクリントンとおそらく関係は無い。イギリス軍のクリントンは幾つかの陽動行動を使ってパットナムを騙し、その部隊を東に撤退させた後、ハドソン川の西岸に2,000名の部隊を上陸させて2つの砦を襲った。

イギリス軍は丘の多い地形を数時間行軍した後、部隊を2つに分けて2つの砦を同時に襲撃させた。モントゴメリー砦へ向かった部隊は小さな野戦砲を持った中隊に行く手を遮られることがあったが、ほぼ同じ時刻に2つの砦を攻撃し、比較的短時間の戦闘で砦を占領した。守備隊の半数以上が戦死、負傷または捕虜となった。イギリス軍はこの勝利に続いて北のキングストンまで軍を進めたが、その後にニューヨーク市に呼び戻された。このイギリス軍の動きはバーゴイン軍を支援するには時期的に遅すぎ、バーゴインは10月17日に降伏した。この戦闘の唯一注目すべき結果は両軍の蒙った損失と、2つの砦がイギリス軍によって破壊されたことだった。
背景詳細は「サラトガ方面作戦」を参照

ハドソン川流域はアメリカ独立戦争を通じて戦略的に重要な地域であり続けた。この地域を通ってニューイングランドと南部の植民地の間で人と物が移動しており、戦争の後半でイギリス軍がニューイングランドを軍事的支配の標的としなくなってからは特に重要性を増した。1777年6月、ジョン・バーゴイン将軍はケベックから南に下ることで、この重要な地域の支配を目指す行動を起こした。その作戦の初期ではタイコンデロガ砦を落としたが、兵站の困難さに苦しんで、9月半ばにやっとサラトガまで到達しただけだった[5]。バーゴインはニューヨーク市を占領するウィリアム・ハウ将軍のイギリス軍がこの作戦を支援してくれることを期待しており、この2つの軍隊はサラトガから約40マイル (64 km) 南のオールバニで落ち合う予定だった[6]ジョージ・クリントン知事フランスによる1777年のハドソン川流域図。モントゴメリー砦が誤って東岸に描かれている

イギリス本国の植民地担当大臣でこの戦争遂行のための政治家だったジョージ・ジャーメインとハウ将軍の間の明らかに意思疎通を欠いたために、ハウはオールバニではなくフィラデルフィアの占領を目指し、7月にはその軍隊の大半を率いて南に向け船で出港した。その跡のニューヨーク市はヘンリー・クリントンに指揮を任せた[7][8]。ハウがクリントンに残した指示はニューヨーク市を保持することであり、その目的に沿った場合にのみ攻撃的な作戦を採ることだった。ハウが7月30日にクリントンに与えた指示の中には、援軍が到着する約束があること(この援軍の時期は約束されていなかった)、「バーゴイン将軍がオールバニ近づけるように」行動するよう考慮すべきこと、このときそのような機会があれば「キングスブリッジを確保すること」が含まれていた[9]。ハウがバーゴインに送った手紙は8月3日に届き、フィラデルフィアに向かうことと、クリントンに与えた指示について伝えていた[8]。クリントンは9月12日に手紙を書き(バーゴインはフリーマン農場の戦いが起こった後の9月21日に受け取った)、「2,000名の部隊が貴方を効果的支援できる」ならば、「約10日以内にモントゴメリー(砦)を攻撃する」つもりだと伝えた[10]
大陸軍の防御

ハドソン川流域の高地地域(ウェストポイントの近く)はピークスキルを本拠にするイズラエル・パットナム少将が指揮する大陸軍とニューヨーク民兵隊によって守られていた。ピークスキルから数マイル上流、ポポロペン・クリークがハドソン川に注ぐポポロペン渓谷の直ぐ上流には、イギリス海軍の艦船がハドソン川を遡ることを阻止するために川を横切る鎖が張られていた。この鎖の西端を守っていたのがモントゴメリー砦(リチャード・モントゴメリー将軍に因む命名)であり、南の渓谷を見下ろす位置にあった。やはりハドソン川の西岸で渓谷の南にはクリントン砦(おそらくジェイムズ・クリントン将軍に因む命名)を構築していた[11][12]。モントゴメリー砦はこの時建設中であり、ジョージ・クリントン将軍が指揮を執り、クリントン砦はその兄であるジェイムズ・クリントン将軍が指揮していた。両砦合わせて守備隊の総勢は約600名だった[1]

ピークスキルにあった主要宿営地は、イギリス軍が船で行動を起こせば必ずその側を抜ける必要がある場所であり、そこにもおよそ600名が守っていた。3か所の陣地にいる兵士のうち、約1,000名は大陸軍正規兵であり、残りは短期徴兵のニューヨーク民兵だった。パットナムの部隊は元々もっと大きな軍勢だったが、ジョージ・ワシントン将軍がハウ軍に対するワシントン軍自隊の防衛と、バーゴイン軍に対するゲイツ軍の防衛のためにパットナム部隊の一部を割くよう命じており、さらにハウの動きが分かった時点で地元民兵隊の多くの兵士を解任していた[13]


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