Castle Clinton National Monument
Castle Garden
アメリカ合衆国国家歴史登録財
アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント
ニューヨーク市歴史建造物
バッテリー・パーク内のクリントン城
写真:Historic American Buildings Survey
キャッスル・クリントン (Castle Clinton) またはフォート・クリントン (Fort Clinton) は、ニューヨーク市マンハッタン島の南端にあるバッテリー・パークに現在は位置している砂岩の砦である。かつてはキャッスル・ガーデン (Castle Garden) とも呼ばれていた。ここはアメリカで最初の移民局として重要な役割を果たしていた時期もあった。エリス島に移民局ができる以前のアメリカへの移民局として、1855年から1890年の間にアメリカに到着した800万人以上の人々がこの場所から入国した。その他にも、ビアガーデン、展示場、劇場、水族館、そして今日ではアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントとして機能してきている。
歴史サミュエル・ウォー (1814-1885) による「ニューヨークの港湾 (“The Bay and Harbor of New York”) 」1848年作
現在、クリントン城は約400年前のニューアムステルダムの時代にフォート・アムステルダムが建っていた場所からおよそ2ブロック西に建っている。
クリントン城の建設は1808年に始まり1811年に完成した。この要塞はウエスト・バッテリー (West Battery) と呼ばれ、時にサウス・ウエスト・バッテリー (South-west Battery) とも呼ばれた。建築家のJohn McComb Jr.とJonathan Williamsによって設計され、バッテリーパークが埋め立てられていなかった当時はマンハッタン島南岸の少し沖に作られた人工島であった。
ウエスト・バッテリーはイースト・バッテリー (East Battery) と呼ばれたガバナーズ島のウィリアムス城 (en) の機能を補完することが目的であった。建設されたのは緊張が高まっていた米英戦争の直前であり、イギリス軍の侵攻に備えて築かれたが、実際にこの砦が戦争活動に利用されることはなかった。この後、バッテリー・パークの埋め立て拡張が行われ、この砦はマンハッタン島の本島に組み入れられた。
アメリカ合衆国国立公園局管轄下の他のすべての歴史地区と同様に、この砦はキャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメントとして1966年10月15日にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。
名前と用途の変遷1824年のキャッスル・ガーデン・シアター1880年頃のマンハッタンの上空図。キャッスル・ガーデンが左下に写る。
1815年、ウエスト・バッテリーが当時のニューヨーク市長デウィット・クリントンの名前を取って「キャッスル・クリントン」となる。
1821年、アメリカ陸軍はこの要塞の使用をやめ、ニューヨーク市へ貸し出す。1824年7月3日には「キャッスル・ガーデン」という娯楽施設としてオープンする。プロムナード、ビアガーデン、レストラン、展示場、オペラハウス、そして劇場として利用されることとなる。当初は屋根なしで設計された。
19世紀の前半は、移民の多くは現在のサウスストリート・シーポート (en) あたりから上陸していたが、1855年8月1日から1890年4月18日までキャッスル・ガーデンがアメリカ初の移民局として開業した[2]。この業務記録の多くは、1892年1月2日に業務がエリス島に移った先で、1897年6月15日にあった火事で失われている[3]。キャッスル・ガーデンで受け入れた移民の数は800万人以上であり、1200万人以上とも言われる。
ニューヨーク水族館はかつてキャッスル・ガーデンに置かれていた(図は1923年)