クリミア大橋
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この記事は最新の出来事2022年ロシアのウクライナ侵攻)に影響を受ける可能性があります。情報は出来事の進行によって急速に変更される可能性があります。(2022年10月)

クリミア大橋
(ケルチ海峡大橋)
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ケルチ海峡
アゾフ海
黒海
ケルチ  赤線がクリミア大橋のルートでトゥーズラ島とトゥーズラ・スピット(英語版)を通る。  青はフェリーの航路。
基本情報


ロシア(実効支配)

 ウクライナ(クリミア半島の領有権を主張)

所在地タマン半島 - クリミア半島
交差物件ケルチ海峡
用途鉄道道路併用橋
着工2016年
開通

2018年5月15日(道路)

2019年12月23日(鉄道)

閉鎖

閉鎖?2022年10月8日

一部車両通行再開?2022年10月9日

座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度18分31秒 東経36度30分22秒 / 北緯45.3086度 東経36.5061度 / 45.3086; 36.5061 (ケルチ海峡)座標: 北緯45度18分31秒 東経36度30分22秒 / 北緯45.3086度 東経36.5061度 / 45.3086; 36.5061 (ケルチ海峡)
構造諸元
全長18.1 km
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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クリミア大橋(クリミアおおはし、ロシア語: Крымский мост、ウクライナ語: Кримський м?ст)またはケルチ海峡大橋(ケルチかいきょうおおはし、ロシア語: Керченский мост、ウクライナ語: Керченський м?ст、クリミア・タタール語: Керич Копюри)は、ロシア連邦クラスノダール地方タマン半島クリミア半島(この半島は、クリミア共和国としてロシアが実効支配している)の間を結ぶ、全長18.1 km(道路橋は16.9 km)の鉄道道路併用橋である。両半島の間でトゥーズラ島とトゥーズラ・スピット(英語版)(トゥーズラ砂州)とを経由する。クリミア橋[1]やケルチ橋[2][3]と呼ばれることもある。

ロシア本土とクリミア半島の間を結ぶケルチ海峡フェリー(ロシア語版)の代替として建設された橋である。2015年5月に建設工事が開始され、道路部分は2018年5月15日に開通した[4]。鉄道部分は2019年12月23日に開通した[5]。ロシアがこれまでに建設した橋の中で最長[6]、ヨーロッパで最も長い橋である[7]
歴史

ケルチ海峡に橋を建設する計画は19世紀から存在し、1903年にはロシア皇帝ニコライ2世により計画されたが、日露戦争および第一次世界大戦の影響もあり実現しなかった[8]

第二次世界大戦独ソ戦)中の1943年、ナチス・ドイツの軍需相アルベルト・シュペーアが架橋計画を提案した。コーカサスの戦い(ロシア語版)をドイツ国防軍優位に進めることが狙いであったが、既にドイツ軍は劣勢に転じていた。撤退に合わせてトート機関はケルチ海峡に1日当たり1,000トンの輸送力を持つロープウェイを建設した。同年3月7日にはドイツ総統アドルフ・ヒトラーが6か月以内にケルチ海峡に鉄道道路併用橋を建設するように指示した。4月にはトート機関が工事を開始したが、9月1日にはソ連軍の総攻撃が始まり撤退を余儀なくされた。この時点で全体の約3分の1が完成していたが、ドイツ軍は撤退の過程において橋梁のうち既に完成していた区間を爆破した。赤軍によるクリミア解放後にドイツ軍が置き去りにした資材で延長4.5 kmのケルチ鉄道橋が建設され1944年秋に仮開通したが、1945年2月に突堤の欠陥や流氷の影響により崩壊した。

1949年、ソ連政府はイェニカーレとチュシュカ・スピットを結ぶ、道路・鉄道併用橋の建設を指示したが、1950年に建設は中止され、代わりにフェリー路線が創設されることになった[9]。1960年代中盤以降はケルチ水力発電所計画によりダムおよび橋を建設する計画が浮上したが、ソビエト連邦の崩壊の影響で実現しなかった。

橋の建設は2006年にウクライナの閣議で再検討され、当時のウクライナ運輸大臣ミコラ・ルドコフスキーは、橋が「ロシアのコーカサスを訪れるすべての観光客がクリミアにも訪れる」ことを可能にするので、「クリミアにとって正味のプラス」となることが期待できると述べた[10]。この問題は2008年に両国の首相によって議論され[11]、その年に採択されたロシアの交通戦略では、2016年から2030年の期間における南連邦管区の交通インフラ整備の最優先課題としてケルチ海峡橋の建設を想定し、2015年までに設計を作成することとなった。

2010年、ウクライナヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領とロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領がケルチ海峡への架橋計画に合意し、署名を行った[12]。2013年11月のウクライナ・EU連合協定(ウクライナ語版)否決により架橋計画への関心はさらに高まった。

2014年1月下旬、ウクライナとロシアの両政府は、ウクライナとロシアの新しい合弁会社が橋梁を建設し、ロシアの国営企業であるロシア高速道路公団(アヴトドル)が管理を行う方向で合意した[13]。ウクライナの経済発展貿易省は、建設には5年かかり、15億ドルから30億ドルの費用がかかると概算した[13]。2014年2月初頭にはイーゴリ・シュワロフロシア連邦第一副首相がアヴトドルに対して実現可能性の研究報告を2015年までにまとめるように指示した。

2014年3月18日のロシアによるクリミアの併合により、ケルチ海峡架橋プロジェクトはロシアにとって極めて重要なものとなった[14]。ロシアはウクライナと異なりクリミアへの陸路での到達手段がなく、ケルチ海峡フェリーは悪天候によりしばしば停止し[15]、しばしば車両の長い列ができたという限界があったからである[16]


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