クリフ・ウィリアムズ
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クリフ・ウィリアムズ
(Cliff Williams)
AC/DCのステージでのクリフ・ウィリアムズ。2008年11月23日ミネソタ州セントポールにて。
基本情報
出生名Clifford Williams
生誕 (1949-12-14) 1949年12月14日(74歳)
出身地 イギリス イングランド、ロムフォード(Romford)
ジャンルハード・ロックヘヴィメタル
ブルース・ロックロックンロール
職業ミュージシャン
担当楽器ベースバッキング・ヴォーカル
活動期間1970年 - 2016年 ;2018年 -
レーベルコロムビア・レコード
共同作業者AC/DC、ホーム、バンディット
公式サイト ⇒AC/DC Official Website

クリフ・ウィリアムズ(Clifford Williams、1949年12月14日 - )は、イギリス出身のベーシストである。

1977年オーストラリアハード・ロックのバンドAC/DCのメンバーの1人となり、2003年には他のメンバーと一緒にロックの殿堂入りを果たした[1]ロンドン東郊のロムフォード(Romford)で生まれたが、9歳の時に家族とともにリバプールへ転居、当地で育ち、エンジニアとして2年間働いた。最初に参加したバンドはホーム(Home)であった。バンドメイトであるブライアン・ジョンソンと同様に、現在は米国フロリダ州フォートマイヤーズに住んでいる。モデルで女優のエリン・ルーカス(Erin Lucas)は娘である[2]
経歴
初期

1970年、クリフ・ウィリアムズは最初のバンド、ホームを、シンガーのミック・スタッブス(Mick Stubbs)、ギターのローリー・ワイズフィールド(Laurie Wisefield、キーボードのクライヴ・ジョン(Clive John)、ドラムのミック・クック(Mick Cook)と一緒に始めた。プログレッシブ・ロックの影響を受けた彼らの音楽は、すぐにエピック・レコードとの契約を得て、翌1971年には、デビュー・アルバム『Pause For A Hoarse Horse』がリリースされた。ホームは1971年11月にウェンブリー・エンパイア・プールで行われたレッド・ツェッペリンの「エレクトリック・マジック・ショー」(サーカスとロック・バンドをフィーチャーした公演)で、ホームは前座を務めた。

1972年、キーボードがクライヴ・ジョンからジム・アンダーソンに代わり、セルフタイトル・アルバム『ホーム』がリリースされ、そこからカットされた、バンドにとって唯一のヒットとなったシングル盤「Dreamer」が11月に発売された。このアルバムは、イギリスのアルバム・チャートで41位まで浮上した。これに続いた1973年のアルバム『The Alchemist』は、大きな成功を収めることはできなかった。1974年3月、イギリスのフォークシンガーソングライター、アル・スチュアート(Al Stewart)は、ホームに、アメリカ・ツアーのバックをやらないかと提案した。ミック・スタッブスはバンドを離れ、バンドは「アル・スチュアート・バンド」となった。しかし、このバンドは長続きせず、ウィリアムズは程なくして脱退し、1974年のうちにバンディットを結成した。Williams performing with AC/DC in 1981

バンディットはアリスタ・レコードとすぐに契約を結び、1977年にセルフタイトル・アルバム『バンディット』をリリースした。この時のメンバーはウィリアムズと、(後にソロ歌手として成功した)ヴォーカルのジム・ダイアモンド(Jim Diamond)、(後にバック・フィズ(Bucks Fizz)、ロジャー・ウォーターズ・バンドに参加した)ドラムのグラハム・ブロード(Graham Broad)であった。
AC/DC

AC/DCの初代ベーシストだったマーク・エヴァンス(Mark Evans) は、1977年のスタジオ・アルバム『ロック魂』のレコーディング直後に解雇され、ウィリアムズは新しいベーシストとして採用された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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