クリフトン・ウェッブ
Clifton Webb
『ローラ殺人事件』(1944年)予告編より
本名Webb Parmelee Hollenbeck
生年月日 (1889-11-19) 1889年11月19日
没年月日 (1966-10-13) 1966年10月13日(76歳没)
出生地 アメリカ合衆国インディアナ州ビーチグローブ
受賞
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
1946年『剃刀の刃』
その他の賞
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クリフトン・ウェッブ(Clifton Webb, 1889年11月19日 - 1966年10月13日)は、アメリカ合衆国の俳優・ダンサー・歌手である。クリフトン・ウェブとも表記される。主に舞台で活躍したが、映画でもアカデミー賞に3度ノミネート(主演男優賞1回、助演男優賞2回)されたことのある名優(いずれも受賞ならず)。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに映画分野で名前が刻まれている。
生涯独身を通し、母親と暮らしていた。ゲイだったと言われている[1]。
経歴1923年撮影
1889年[2](1891年[3][4] とも)にインディアナ州ビーチグローブで生まれる。13歳で音楽と絵を勉強するために学校を辞める。10代でニューヨークのプロ・ダンサー(社交ダンス)になる。当時のダンスパートナーには後の女優メイ・マレーがいた。その後、20代の半ばにはブロードウェイやロンドンでミュージカルなどの舞台にも立つようになり、サイレント映画にも出演するようになる。以降も舞台を中心に活動し、1930年代にはブロードウェイを代表する名優としての地位を確立する。
1944年の映画『ローラ殺人事件』で初めてハリウッド映画に出演する。プロデューサーのダリル・F・ザナックは女性的な印象のウェッブの起用に反対であったが、監督のオットー・プレミンジャーの強い推薦で出演が決まった。本作の演技で第17回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされる。この作品以降、映画にも出演するようになる。
1946年の映画『剃刀の刃』で第19回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされ、第4回ゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞。
1948年の映画『愉快な家族』で第21回アカデミー賞の主演男優賞にノミネート。