クリップス
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この項目では、ストリートギャングについて説明しています。その他の用法については「クリップス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

クリップスタトゥーを入れたクリップスのメンバー
設立者レイモンド・ワシントン
設立場所 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
活動期間1969年?
活動範囲 アメリカ合衆国
カナダ
トンガ
ベリーズ
オランダ
イギリス
構成民族黒人(アフロ・アメリカン)が主体
構成員数
(推定)3万人?3万5千人
主な活動麻薬密売、強盗、暴行、恐喝及び強要、殺人
友好組織フォーク・ネーション、 ギャングスター・ディサイプルズ
敵対組織ブラッズ、ピープル・ネーション、アーリアン・ブラザーフッド、ネイション、フロレンシア・13、バリオ・ロンゴス・13、フレズノ・ブルドッグス

クリップス(英文表記:Crips)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くストリートギャング1969年にレイモンド・ワシントンを中心としてスタンリー・ウィリアムズ、マック・トーマスらによって結成された。アメリカ全土に勢力を伸ばし、2008年には3万人から3万5千人の構成員を有する。その活動は個々の地域やコミュニティに点在する「セット」と呼ばれるグループ単位で行われており、明確な指導部が存在しないため各セットの独立性が高く、多くのストリートギャングに見られる連合型の組織体系を有している。

クリップスの構成員は帽子やバンダナ、靴紐などの衣類の一部に青色を用いる事が知られている。これは初期メンバーであったクリス・モローが青色で統一された服装を好んだ事に由来する。しかし、彼らの活動が社会問題となった事により、青色を身に着けている事で警察の厳しい取締りを受けるようになったため、その後やや暗色な紺色が用いられるようになった。また、六芒星をシンボルに使用する事もある。因みにギャングスタラップで有名なスヌープ・ドッグは元構成員であり、自身の楽曲のPVで青色の服装をしているのがよく見られる。

クリップスと並びアフリカ系アメリカ人の二大ストリートギャングと呼ばれるブラッズとは創設期から現在に至るまで抗争を繰り広げている。その他、異人種ギャングに対して敵対的なメキシコ系アメリカ人ギャングとの抗争、更にはクリップス同士のセット間でのシマを巡る抗争が断続的に続いているが、イリノイ州シカゴに本拠地を置くヴァイス・ローズテネシー州メンフィスでの麻薬取引が明るみに出た事により、1990年代前半に見られた大規模なギャング抗争は一時的に停滞していると言われている。
歴史

1960年代にはワッツ暴動が発生したが、同じく黒人居住区であったコンプトンやその他の地域でも、貧困や人種差別に対する不満が高まっていた。レイモンド・"レイレイ"・ワシントンが、ブラックパンサー党員として活動するアヴェニューズ(Avenues)に魅了され、個人的に加入を望んだが拒否される。そのため、1969年にレイモンド・ワシントンやスタンリー・ウィリアムズらによって、クリップスの前身組織が結成された[1]

70年以降、ロサンゼルスで活動するブラックパンサー党を始め、政治的・社会的な運動を行う他の組織も衰退の道を辿り、彼らにとって、若いアフリカ系アメリカ人を束ねる上で、好都合な社会状況だったと見られる。外見的な特徴として、黒いレザージャケットを羽織り、左耳たぶにピアスをつけ、練り歩くブラックパンサー党員を模倣した容姿であり、当初のメンバーの多くが筋力トレーニングに励んだという。

1971年。重要人物の一人であるスタンリー・"トゥッキー"・ウィリアムズ、マック・トーマスを組織に加え、ベイビー・アヴェニュー・クリブス(Baby Avenue Cribs)と改称することになる。しかし、徐々に肥大化しつつある組織の取りまとめに苦慮するようになり、創設当時の志を知らぬ新規メンバーの身勝手な行動によって、クリブスによる犯罪が頻発するようになる。

その結果、当時のクリブスの悪事の数々が紙面を賑わすようになり、1972年2月10日のロサンゼルス・センティネル誌に「杖を突いた障害者達(Cripples)による、初老の日本人女性に対する事件」として紙面掲載された。72年にはロサンゼルス・タイムズも、このギャング集団を「クリップス」と呼んだ[2]。クリブス(Cribs)という呼称は、次第にクリップス(Crips)という呼称に転じ、ロサンゼルスの人々に認知されるようになっていった。しかし、レイモンド・ワシントンの遺族は1971年の結成当初より組織名はクリップスであったと証言している。その裏付けとして、結成時の3セットはレイモンド・ワシントンのイーストサイド・クリップス、スタンリー・ウィリアムズのウエストサイド・クリップス、マック・トーマスのコンプトン・クリップスであり、すでにクリップスの名称が使用されている。

1972年以降、クリップスによる犯罪はさらに凶悪さを増し、象徴ともいえる黒いレザージャケットを得るために、若い世代による強盗が頻発するようになった。多くの場合、老人や年齢の離れた少年少女が標的とされ、裕福な家庭に育った者は格好の的であった。

皮肉にも、報道記事の掲載された1972年2月10日から3日後、レザージャケットを欲しがる思いが高じて、クリップスのメンバーによる初めての殺人が行われた。被害者はロサンゼルス高校に通っていた16歳の高校生で、ギャングに所属していないにも拘らずクリップスに襲われた際に抵抗したが殺害され、助けようとした被害者の友人も路上で殴り殺されているのを発見された。数日後、クリップスに属する9名の若者が殺人を理由に逮捕されることになったが、クリップスという組織に全ての責任があることを理解していながら、組織本体を逮捕・訴追することは出来なかったという。

1974年になるとレイモンド・ワシントンが強盗罪で「逮捕」、1979年にはスタンリー・ウィリアムズが台湾人一家4名の殺害容疑で「逮捕」されると徐々に組織は創設メンバーの手を離れて行く事になる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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