クリス・スレイド
Chris Slade
2008年
基本情報
出生名Christopher Slade Rees
生誕 (1946-10-30) 1946年10月30日(77歳)
出身地 ウェールズ
グラモーガン郡(現ミッド・グラモーガン州ロンザ・カノン・タフ郡)ポンティプリッド
ジャンルハード・ロック
ヘヴィ・メタル
ブルース・ロック
プログレッシブ・ロック
グラム・メタル
職業ドラマー
活動期間1963年 - 現在
レーベルBronze Records
クリス・スレイド(Chris Slade、1946年10月30日 - )は、ウェールズ出身のロックドラマー。
経歴(Glamorgan)地方ポンティプリッド(Pontypridd)出身。
スレイドは1963年よりトム・ジョーンズのバック・バンドで活動[1]。1969年にはオリビア・ニュートン=ジョンとともに映画『Toomorrow』(1970年公開)の作中バンドToomorrowに参加するが[1][2]、映画およびサウンドトラック・アルバムには不参加となり、カール・チェンバースがスレイドの後任を務めた[3]。1971年から1978年までは、マンフレッド・マンズ・アース・バンド(Manfred Mann's Earth Band)のメンバーであった[1]。1980年より2年間ユーライア・ヒープに在籍し、その後ゲイリー・ニューマンのアルバム『アイ・アサシン』のレコーディングおよびツアーに参加[1]。1984年にはデヴィッド・ギルモアのツアーに参加するが[1]、ギルモアから参加依頼を受けた直後にジミー・ペイジの新バンドにも勧誘され、ギルモアのツアー終了後にペイジと合流[4]。ペイジ、ポール・ロジャース、トニー・フランクリンと結成された新バンドは、スレイドの案によりザ・ファームと名付けられ[5]、1986年まで活動。1989年、ゲイリー・ムーアのアルバム『アフター・ザ・ウォー』に伴うツアーのリハーサル中にコージー・パウエルが離脱し、スレイドが代役としてツアー・ドラマーを務めた[6]。
スレイドが最も注目を浴びたのは、1989年に、オーストラリアのハード・ロック・グループAC/DCから、サイモン・ライトの脱退を受けて、バンドへの参加を求められたときだったといえるだろう。ヤング兄弟(アンガスとマルコム)は、当初はスレイドを一時的な代役として雇い、やがて次のアルバムのレコーディング中にバンドの正式メンバーとなることを求めた。スレイドはアルバム『レイザーズ・エッジ』と、それを受けてのツアーに参加した。しかし、4年後、ヤング兄弟は、自分たちのスタイルのロックにぴったりの「グルーヴ」を出せる、として元メンバーのフィル・ラッドを復帰させることにし、スレイドに離脱を求めた。
AC/DCを離れたスレイドは、数年間、イギリスの田舎で生活していたが、プログレッシブ・ロック・グループのエイジアのジェフ・ダウンズからバンドへの参加を求められた。