クリス・シーリ
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クリス シーリ
Chris Thile

基本情報
出生名Christopher Scott Thile
生誕 (1981-02-20) 1981年2月20日(43歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア オーシャンサイド[1][2]
出身地 アメリカ合衆国
ジャンルブルーグラス, プログレッシブ・ブルーグラス, フォーク, カントリー, classical, ジャズ
職業ミュージシャン、作曲家
担当楽器マンドリン, ブズーキ, マンドラ, バンジョー, ギター, テノール・ギター, ドラム, シタール, ピアノ, バイオリン, ビオラ, チェロ, ダブルベース, ボーカル
活動期間1989?present
レーベル

Sugar Hill

Nonesuch

共同作業者ニッケル・クリーク, パンチブラザーズ, Mutual Admiration Society, マイク・マーシャル, エドガー・メイヤー, The Goat Rodeo Sessions
公式サイト ⇒www.punchbrothers.com
著名使用楽器


Gibson Lloyd Loar F5 Mandolin
(serial number 75316)[3]

Lynn Dudenbostel F5 Mandolin
No. 5 and No. 14[4]

Lawrence Smart mandola[4]

Flatiron bouzouki[4]

クリス・シーリ(Chris Thile、本名:クリストファー・スコット・シーリ(英語: Christopher Scott Thile)、1981年2月20日 - )は、アメリカマンドリンの名手、歌手作曲家。プログレッシブ・アコースティックのトリオ、ニッケル・クリークのメンバーとして、またプログレッシブ・ブルーグラスのバンド、パンチブラザーズのメンバーとしてその名が知られている。[5][6] 2012年にMacArthur Fellowに輝く。[7]2016年8月15日からラジオ&ネット番組「Live from Here」(旧:A Prairie Home Companion)のホストを務めている。[8]
略歴

1989年、カルフォルニア州カールスバッドのピザ屋"That Pizza Place"でニッケル・クリークのメンバーは初めて出会う。クリスは彼の父によって毎週のブルーグラスショーに連れてこられていた。すぐに彼らはともに練習を始め、フェスでの演奏や、アルバムのレコーディングを始めた。1993年12月31日に初めてのアルバム"Little Cowpoke"をリリース。後に彼らのアルバム"Nickel Creek"や"This Side"はプラチナディスクとなり、グラミー賞のベスト・コンテンポラリー・フォークアルバムに選ばれる。2005年にリリースしたh"Why Should Fire Die?"は喝采で迎えられ、250,000枚の売り上げを記録した。

2003年にシーリはファッションデザイナーのJesse Meighanと結婚。18ヶ月後の2004年には破局し離婚。[9]

シーリは"Not All Who Wander Are Lost" (2001), "Deceiver" (2004)などのソロアルバムもリリースしている。これらのアルバムでは、シーリが作曲、作詞、歌唱、演奏の全てのパートを担当している。2008年、シーリはベーシストのエドガー・メイヤーとのコラボレーション・アルバムをリリースした。また、Hilary Hahnとのコラボレーション・アルバムのリリースも予定されている。[10][11]

2013年12月23日、女優のClaire Coffeeと結婚。[12] 2015年5月15日、カフィとの間に男の子を授かる。カルビン・ユージン・シーリと命名。[13]

アメリカ野球殿堂サム・トンプソンはシーリの大大大大叔父にあたる。[14]
来歴
1981年-1999年(幼少期?デビュー)

1981年、カルフォルニア州オーシャンサイドに生を受ける。彼の最も小さい頃の記憶は、1歳にも満たない頃に聞いた、Stan Getzレコーディングの"The Girl from Ipanema"であるという。彼の家族は彼が二歳のとき、当時ジョン・ムーアブルーグラスバンドなどが演奏をしていた、ピザ屋"That Pizza Place"に通い始める。シーリが4歳の時に、家族でカルフォルニア州アイディルウィルドに引っ越す。

シーリは5歳の頃からマンドリンの演奏を始め、時にはジョン・ムーアからレッスンを受けていた。8歳の頃には、シーリ家とワトキンス家でニッケル・クリークを結成。ニッケル・クリークはカルフォルニアで開かれていた数多くのブルーグラスフェスに参加していたため、クリスは結果的に家庭学習を行っていた。12歳の時、彼はカンザス州ウィンフィールドで開かれたウォールナット・バリー・フェスティバルの国際マンドリン選手権で優勝する。

1993年、シーリはSugar HillとRounder record labelsにデモテープを送る。両レーベルとも興味を示したが、シーリはSugar Hillを選んだ。[15]翌年、シーリは彼の初となるソロアルバム"Leading Off"をリリース。

1995年、シーリの家族はケンタッキー州マレーへと引っ越す。クリスの父であるスコットは、マレー州立大学で音楽講師としての職を得た。[16][17] 1997年、クリスはStealing Secondをニッケル・クリークはHere to Thereをリリース。クリスはマレー州立大学で数期の間在籍し、音楽の専門単位を取得した。[1]
2000年-2005年(ソロ活動など)

ニッケル・クリークの華々しい成功や、アルバムのプラチナディスクへの認定につづいて、シーリは"Not All Who Wander Are Lost"を2001年にリリース。このアルバムは著名なアーティストをゲストに招待する形でレコーディングされた。それは、スチュアート・ダンカンベラ・フレックエドガー・メイヤージェリー・ダグラスブライアン・サットンである。

2003年、シーリはマンドリン弾きのマイク・マーシャルとコンビを組み、デュオアルバム"Into the Cauldron"をリリース。このアルバムにはオリジナル楽曲以外にも、チャーリー・パーカーや、J.S.バッハの楽曲が収録されている。同2003年、シーリはマーク・オコナーのアルバム"Thirty-Year Retrospective"に参加。このアルバムは2004年のグラミー賞にノミネートされる。シーリは2004年に"Deceiver"をリリース。これは実験的なアルバムで、全てのパートをシーリ自身が演奏している。パートにはエレキギター、ピアノ、ドラム、バイオリン、ビオラ、チェロ、ベースが含まれる。Deceiverにはニューグラスに加え、ポップやロックの曲が収録されている。
2006年?現在(パンチブラザーズ、エドガー・メイヤー・プロジェクトなど)クリス・シーリとパンチブラザーズ。


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