イギリスの政治家バーンズのパッテン男爵
クリストファー・パッテンChristopher Francis Patten, Baron Patten of Barnes
2019年のパッテン卿
生年月日 (1944-05-12) 1944年5月12日(79歳)
出生地 イギリス イングランド・ランカシャー・クリーブリーズ
クリストファー・パッテン
各種表記
繁体字:彭定康
?音:Pang Ding-hong
英語名:Christopher Francis Patten
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バーンズのパッテン男爵クリストファー・フランシス・パッテン(英語: Christopher Francis Patten, Baron Patten of Barnes, CH PC、広東語名:彭定康、1944年5月12日 - )は、イギリスの政治家、一代貴族。
1979年に庶民院議員に初当選して保守党の政治家となり、サッチャー内閣やメージャー内閣で大臣職を務めた。1992年から1997年にかけて中国返還前最後の香港総督を務めた。その後、欧州委員会委員などを務めた。2005年には一代貴族バーンズのパッテン男爵に叙され、貴族院議員となった。 1944年5月12日にイングランド北西部ランカシャーに成功していない音楽出版業者の子として生まれた。アイルランドロスコモン県からイングランドへ移住したカトリックの家系だった。パッテン自身も敬虔なカトリックである[1]。 カトリック系の学校を経て、オックスフォード大学ベリオール・カレッジで現代史を専攻した[1]。短期間アメリカで共和党下院議員ジョン・リンゼイの事務所で働いた後、1966年から保守党の調査部で勤務した[1]。 マーガレット・サッチャー内閣下において、保守党財政委員会副議長(1981年 - 1983年)、庶民院国防小委員会委員および庶民院財政手続小委員会委員(1982年 - 1983年)、 北アイルランド省
経歴
前半生
保守党政権の役職歴任
1990年にジョン・メージャー内閣が成立するとランカスター公領大臣と保守党幹事長(英語版)に就任。保守党幹事長として臨んだ1992年4月のイギリス総選挙では保守党を勝利に導いたが、パッテン自身は自分の選挙運動の時間がほとんど取れず、結果バース選挙区で自由民主党候補ドン・フォスター(英語版)に議席を奪われて落選した[3]。 メージャーは総選挙勝利の立役者でありながら議席を失って閣僚職に付けなくなったパッテンを1992年7月に第28代香港総督に任命した。戦後イギリスの植民地の多くは独立していたが、香港はアジアに残る最後の英国植民地だった。政治家出身のパッテンの香港総督への起用は異例のもので、それまでは外交官(1970年代以前は植民地省官僚も)が任命されることが多かった。 総督在任中は、1997年の中華人民共和国への返還・譲渡を控えた香港で政治の民主化に尽力した。1994年には立法会議員の選挙法改正
香港総督