クリスティアン・ヴィルト (Christian Wirth、1885年11月24日 - 1944年5月26日)は、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)将校。最終階級は親衛隊少佐(SS-Sturmbannfuhrer)。第二次世界大戦中、ラインハルト作戦に基づきポーランドにおかれたユダヤ人三大絶滅収容所総監をつとめ、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)に深く関与した人物。 ヴュルテンベルクのオーバーベルツハイム
経歴
その後、グラーフェネックやブランデンブルクへ派遣されてユダヤ人や障害者など「生きるに値しない命」を安楽死させる計画に携わった(T4作戦)。ヴィクトール・ブラック(de:Viktor Brack)の技術面の片腕であった[1][2]
「ラインハルト作戦」(ポーランド・ユダヤ人の移送・絶滅計画。ラインハルト・ハイドリヒの暗殺後にこう命名された。)の執行者にポーランド・ルブリン地区の親衛隊及び警察指導者オディロ・グロボクニクが任命されると、グロボクニクはブラック以下92人の安楽死計画メンバーを招集した。この中にヴィルトもいた[3]。
ヴィルトは1941年12月にオディロ・グロボクニクから完成したばかりのベウジェツ強制収容所の所長に命じられた。1942年3月にはソビボル強制収容所建設工事の監督にもあたっている。さらに1942年8月には「ラインハルト作戦」により三大絶滅収容所と指定されたベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ強制収容所の総監職を命じられた。彼の監督下で三大絶滅収容所は大量のユダヤ人やロマをガス殺していった。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスとはガス殺の競合関係であったといい、ヴィルトはヘスを「自分の無能な生徒」と称したという[4]。
またヴィルトは鞭で殴りつけるのが好きなサディストであったが、その対象は囚人のみならず部下である看守に対しても及んだという。
1943年、上司のグロボクニクがイタリアのトリエステへパルチザン狩りの任務へ送られるとヴィルトもグロボクニクに同行したが、1944年5月、リエカにおいてクロアチア人パルチザンにより殺害された。
注釈
参考文献
栗原優著『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ホロコーストの起源と実態』、1997年、ミネルヴァ書房、ISBN 978-4623027019
ラウル・ヒルバーグ著、望田幸男・原田一美・井上茂子訳、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 下』(1997年、柏書房)ISBN 978-4760115174
Charles Hamilton『LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME2』
出典^ 『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ホロコーストの起源と実態』84ページ
^ 『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 下』156ページ
^ 『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ホロコーストの起源と実態』182ページ
^ 『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 下』171ページ
関連項目
クルト・ゲルシュタイン(ヴィルトの部下として共に囚人のガス室処理に携わった)
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