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出典検索?: "ジェイソン・リソ"
クリスチャン・ケイジ
プロフィール
リングネームクリスチャン・ケイジ
クリスチャン
メール・ナース
本名ウィリアム・ジェイソン・リソ
ニックネームキャプテン・カリスマ
インスタント・クラシック
クリーピー・リトル・バスタード
身長185cm
体重96kg
誕生日 (1973-11-30) 1973年11月30日(50歳)
出身地 カナダ
オンタリオ州キッチナー
所属AEW
トレーナードリー・ファンク・ジュニア
ロン・ハッチソン
デビュー1995年
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クリスチャン(Christian)のリングネームで知られるジェイソン・リソ(William Jason Reso、1973年11月30日 - )は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州キッチナー出身。AEW所属。
デビュー時およびTNAに所属していた際はクリスチャン・ケイジ(Christian Cage)のリングネームで活動していた。
クラシカルなレスリングを得意とする受けの名手で、自身の熱狂的なファンを「ピープス」と呼んでいる。 幼馴染であるエッジに影響されてプロレスラーになる事を決め、1995年にクリスチャン・ケイジ(Christian Cage)のリングネームでデビューを果たす。両者はタッグチームを結成し、アメリカやカナダのインディー団体を転戦した。1998年1月には新東京プロレスにカナディアン・ロッキーズとしてエッジと共に来日している。 同年、先にWWFと契約していたエッジの勧めでWWFのトレーニングキャンプに参加。ドリー・ファンク・ジュニアのコーチを受けWWFの入団テストに挑み合格。契約を交わして入団した。 WWFではクリスチャン(Christian)のリングネームでロースター入り。エッジのギミック上の弟として登場。当初はエッジと反目していたギャングレルの相棒となり「兄弟抗争」を展開したが、後にエッジも仲間に加わりザ・ブルードを結成。その後、3人でジ・アンダーテイカー率いる怪奇派ユニットのミニストリー・オブ・ダークネスに加入し、ヒールとしてのキャリアを積む。 ミニストリー脱退後はエッジとのタッグチームで活躍し、ハーディー・ボーイズやダッドリー・ボーイズと抗争を繰り広げた。この時期、リングに立て掛けられたラダーの最上段から場外に転落するなど、細身ながらハードバンプ(受身)を見せ、高いプロ意識と技術の確かさにより内外から注目される存在となる。週刊誌の連載を持っていたTAKAみちのくにより『日本語で「バカ」と罵り合っていた』などと、プライベートでも明るいキャラクターとして紹介されていた(TAKAとはテイカーのラストライドの高さを競い合っていたという)。 2001年にエッジとのコンビを解消。エッジはベビーフェイスに転向したが、クリスチャンはシングルプレイヤーとなってヒールを続けた。 2002年4月にSmackDown!所属となると、同じカナダ出身のランス・ストームと反米ユニットアン・アメリカンズを結成。2001年9月11日以降のアメリカの愛国心と相まって、ヒールの地位を確かなものとしていく。7月にはRAWに移籍並びにチームメンバーにテスト、イギリス出身のウィリアム・リーガルが参加した。9月30日のRAWをもって、ランス・ストーム & ウィリアム・リーガル、クリスチャン & テストのチームに分けられてしまい、反米チームは活動を終える。その後10月からはクリス・ジェリコとタッグチームを結成する。 クリス・ジェリコとのタッグは2004年まで続く。ストーリー上トリッシュ・ストラタスを巡る抗争が勃発し、それが原因としてチームが解散した。WrestleMania XXの後トリッシュ、タイソン・トムコとチームを結成、またギミックを変更し、キャプテン・カリスマを名乗るカリスマ的キャラクターとなる。ギミックチェンジによりヒールとしてのキャラクターが更に際立つようになる。チームからトリッシュが抜けた後はタイソン・トムコとのタッグチームとなるが、2005年に行われたドラフトでクリスチャンがSmackDown!へ移籍したことにより、チームは解散した。移籍後は大きな活躍が無く、10月をもってWWEから自ら退団した。 WWE退団後はWWEとの90日プロテクト(「90日間は他の団体のリングで試合することができない」という条項)はかけられていなかったため11月にTNAに移籍。同時にリングネームをクリスチャンからクリスチャン・ケイジに戻す。 2006年2月12日、iMPACT!にてNWA世界ヘビー級王座を保持するジェフ・ジャレットに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。王座戴冠後、3月にはモンティ・ブラウンの挑戦も退け、4月のPPV、Lockdown 2006にてアビスの挑戦を受けた。防衛を決めたものの、試合後にはアビスの襲撃を受け、ベルトを盗み取られてしまった。この件により、5月14日のPPVであるSacrifice 2006
来歴
キャリア初期
WWF / WWE時代(1998年 - 2005年)1999年
TNA時代(2005年 - 2008年)2008年
2007年1月14日、PPVであるFinal Resolution 2007にてNWAヘビー級王座の奪取に成功。そしてAJスタイルズ、タイソン・トムコ、スタイナーとクリスチャンズ・コアリッションなるヒールユニットを結成。メンバーの介入などに助けられ、5月にNWA王座剥奪されるまでベルトを防衛し続けた。
2008年1月4日、新日本プロレスのWrestle Kingdom II in 東京ドームに参戦。スタイルズ & ピーティー・ウィリアムズと組んでRISE(プリンス・デヴィット & 稔 & ミラノコレクションA.T.)と対戦して勝利した。