クリスチャン・クリエン
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クリスチャン・クリエン

基本情報
略称表記KLI
国籍 オーストリア
出身地同・ホーエンエムス
生年月日 (1983-02-07) 1983年2月7日(41歳)
F1での経歴
活動時期2004-2006,2010
過去の所属チーム'04 ジャガー
'05-'06 レッドブル
'10 HRT
出走回数51
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数0
通算獲得ポイント14
ポールポジション0
ファステストラップ0
最終戦2010年アブダビGP
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クリスチャン・クリエン(Christian Klien, 1983年2月7日 - )は、オーストリアホーエンエムス出身のレーシングドライバー
F1以前の経歴

幼い頃からカートレースを始め、アイルトン・セナのレースを見たことによりF1ドライバーとなることを志す。1996年から1998年にかけ、クリエンはスイスとオーストリアのカートレースを転戦したが、その初年度の1996年(13歳)にいきなりスイスのカートチャンピオンとなったのを手始めに、その後も幾つかのレースで勝利を収める。

1999年に4輪レースへとステップアップ。ドイツのフォーミュラ・BMWジュニアカップを戦い、4勝してシリーズをランキング4位で終えた。翌年はフォーミュラ・BMWのドイツ選手権にチーム・ロズベルグから参戦し、総合10位、新人の中では3番手でシーズンを終えた。2001年も同シリーズに参戦し、5勝するとともに、ランキング3位でシーズンを終え、この年はイタリア・フォーミュラ・ルノーの冬季選手権に参戦するため、JDモータースポーツと組み、同シリーズにおいて1勝を挙げるとともに、同チームとともに2002年はドイツ・フォーミュラ・ルノーに参戦。クリエンはここで4勝してドイツ・チャンピオンとなり、同シリーズのヨーロッパ選手権(ユーロカップ)においては5位を得た。

2003年からミュッケ・モータースポーツに移籍し、F3へステップアップ。ユーロF3ライアン・ブリスコーとタイトル争いを繰り広げ、4勝を挙げるがチャンピオンはブリスコーに譲る結果となったが、同年のザンドフールトで開催されたマールボロ・マスターズにおいて優勝を遂げている。
F1クリスチャン・クリエン
2005年アメリカGP

2004年、レッドブルによる援助を受け、クリエンはジャガー・レーシングのシートを得て、念願だったF1参戦の夢を叶えた。

マネージャーは父のヨハネス・クリエンである。
2004年

初年度のクリエンは同チームのファーストドライバーであり評価が高かったマーク・ウェバーと組むこととなり、大きなプレッシャーを抱えたものであったが、幾つかのレースにおいて内容でウェバーを上回るなど、時折り印象的な速さと能力を見せた。ベルギーGPにおいてF1での初ポイントを記録したが、結局このシーズンの入賞はこのグランプリのみとなり、ランキングは16位となった。
2005年2005年イギリスグランプリ

2005年に向けてのシーズンオフのテスト期間中、クリエンはジャガー・レーシングを買収して発足したレッドブル・レーシングデビッド・クルサードヴィタントニオ・リウッツィとともに参加した。レギュラー候補を3人抱えていたレッドブルチームは、シーズン中、クリエンとリウッツィに数戦ずつ交代で走らせることを決め、クリエンはさしあたり、開幕戦から数戦をクルサードとともに戦うこととなった。

この年、クリエンは関係者の予想を裏切るレッドブルの意外な速さを武器に開幕直後から活躍を見せ、開幕戦オーストラリアGPと第2戦マレーシアGPで連続入賞を遂げ、予選グリッドも常に3列目、4列目に付けるという上々の滑り出しを見せた。第4戦サンマリノGPから第7戦ヨーロッパGPまではリウッツィにシートを譲ったが、残りのレースは全て任され、シーズン中に計5戦で入賞し、ランキング15位でシーズンを終えた。

シーズン前は、第8戦カナダGPでクリエンに一度シートが戻された後も、シーズン後半でまたリウッツィに再度の交代があるものと思われていたが、そうはならなかった要因としては、クリエンが力強いパフォーマンスを見せていたこと、2005年のレギュレーションでは予選出走順が前戦順位の下位からとなり、交互に出走することで予選が不利になるのを避けること、この時期レッドブルがミナルディを買収し、クリエン、リウッツィ両ドライバーに翌年のシートを確実に保証することが可能となったことなどが考えられる。
2006年

2006年もレッドブルから参戦することとなったが、獲得ポイントはチームメイトのクルサードを下回る2ポイントにとどまり、第15戦イタリアGPを最後にシートをサードドライバーのロバート・ドーンボスに譲り、レッドブルから離脱することとなった。レッドブル離脱前後から、中国・日本・ブラジルGPをスパイカーMF1のサードドライバーとして参加するべく動いていたが、スパイカーMF1がそれぞれアレクサンドル・プレマエイドリアン・スーティルアーネスト・ヴィソをサードドライバーに起用すると発表したため、今年のF1公式セッション参加は無くなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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