クラフトワーク
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この項目では、ドイツの音楽グループについて説明しています。その他の用法については「クラフトワーク (曖昧さ回避)」をご覧ください。

クラフトワーク
KRAFTWERK
英ロンドン公演(2017年)
基本情報
出身地 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフ
ジャンル電子音楽
前衛音楽
シンセポップ
テクノポップ
クラウトロック
ニューウェイヴ
プログレッシブ・ロック
エクスペリメンタル・ロック
活動期間1970年 - 現在
レーベルKLING KLANG(ドイツ語版)
パーロフォン
EMI
Astralwerks
キャピトル
マーキュリー・レコード
ヴァーティゴ
フィリップス
事務所KLING KLANG
共同作業者コニー・プランク
アルバムプロデューサー
エーミール・シュルト(ドイツ語版)
作詞イラストレーション
フランソワ・キヴォーキアン(英語版)
ミックスプロデューサー
ウィリアム・オービット(英語版)
(ミックスプロデューサー)
公式サイト

KRAFTWERK

KRAFTWERK - MySpace


メンバーラルフ・ヒュッター
ヴォイスシンセサイザーキーボード
フリッツ・ヒルパート(ドイツ語版)
電子ドラム
ヘニング・シュミッツ
(キーボード、電子ドラム)
ファルク・グリーフェンハーゲン
(ビデオオペレーター)

旧メンバーフローリアン・シュナイダー
(ヴォイス、シンセサイザー、フルート
カール・バルトス
(電子ドラム、キーボード、ヴォイス)
ヴォルフガング・フリューア(ドイツ語版)
(電子ドラム)
フェルナンド・アブランテス
(電子ドラム、キーボード)
クラウス・レーダー(ドイツ語版)
エレクトリック・ヴァイオリン、ギター)
ミヒャエル・ローター
エレキギター
クラウス・ディンガー(ドイツ語版)
ドラム
シュテファン・プファフェ(フランス語版)
(ビデオオペレーター)
クラシック音楽
カールハインツ・シュトックハウゼン
タンジェリン・ドリーム
ビーチ・ボーイズ
シルバー・アップルズなど

クラフトワーク(: Kraftwerk ドイツ語発音: [?k?aftv??k] クラフトヴェルク・クラフトヴェァク、発電所の意)は、ドイツ電子音楽グループ[注 1]

クラウトロックの代表格であり、テクノポップを開拓した先駆者として知られる。同系の音楽に多大な影響を与え[注 2]、メディアからは「エレクトロニック・ダンス・ミュージックビートルズ (the Beatles Of Electronic Dance Music)」とも評された[1]

2014年2015年2018年に「グラミー賞」を受賞。2021年ロックの殿堂」入り。
来歴
結成と初期

1960年代半ば、西ドイツデュッセルドルフ近郊 レムシャイトの芸術アカデミーでクラシック音楽の教育を受けていたラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーがデュッセルドルフ音楽院の即興音楽クラスで出会い[注 3]、インダストリアル・ミュージックへの関心からジャム・プロジェクトOrganisation[注 4]を経て1970年に結成する。

ラルフ・ヒュッター

当時、英米によってもたらされた文化や音楽に安易に染まることを良しとしなかったクラウトロック(ジャーマン・ロック)の一グループであった彼らは、戦後育ちのドイツ人としての自覚[注 5][注 6]を強く持っており、ケルン出身のバンド、カンとも親交があった(カンの初公演はクラフトワークの楽器を借りて行われた[2])。東ドイツのデューナモ・ドレスデン(ドレスデンの発電機)というサッカークラブの名前に触発されグループ名[3]もあくまでドイツ語[注 7]で表現している。リズム・マシンやオルガン、電気フルート等を使った彼ら初期のインダストリアルで即興・実験的な作風[注 8]バズコックススージー・アンド・ザ・バンシーズ にも影響を与えた[4]。当時の主な演奏会場は大学や美術館[注 9]などであった。

幾度かのメンバーチェンジを経るも、結局ラルフとフローリアンが中心になり3枚のアルバムを制作する。アルバムジャケットのデザインを自ら手掛ける他、楽器の改造・開発[注 10]等、グループ初期から現在に至るまでのDIY精神はこのグループを知る上で欠かせない特徴と言える。

この時期のメンバーで、脱退したクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローター(続けて加入するヴォルフガング・フリューア[注 11]と以前同じバンドのメンバーであった)は後のクラフトワークとは別の方向性で同じ工業都市デュッセルドルフの一面を表現しクラウトロックを代表するグループの一つとなるノイ!を結成することになる。この時代の楽曲は70年代半ばを過ぎてからは全く演奏されなくなり、正規版のCDも存在しない[注 12]
アウトバーンのヒット・最初の全盛期スイス・チューリッヒ公演(1976年3月)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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