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出典検索?: "クラウディウス氏族"
クラウディウス氏族(ラテン語:gens Claudia)は、古代ローマの氏族のひとつ。元々はサビニ族を祖とし、ローマと平和的な関係を求めたアッティウス・クラウススが成人男性だけでも約500人のクリエンテスと共にローマへと移り住み、土地と元老院の議席を与えられた。最古の農村トリブスの一つが、この氏族名を冠している(クラウディア区)。 共和政期を通じて多くの政務官を送り出した。パトリキ(貴族)系だけでなく、プレブス(平民)系でもマルケッルス家を出しており、第2代皇帝ティベリウスの頃までに、執政官28人、独裁官5人、ケンソル7人、凱旋将軍6人、次席凱旋将軍20人を数える。 その後もクラウディウス氏族の血統は絶えることなく続き、アウグストゥスの外戚として、ユリウス氏族とともに帝政ローマの最初の王朝(ユリウス=クラウディウス朝)の皇族としての血統を築き上げることとなる。 クロード、クローディア、クラウディオ、クラウディアといった人名はこの氏族に由来する。ルキウスというプラエノーメンは罪人を出したためこの氏族では忌避されている[1]。
概要
パトリキ系
インレギッレンシス家チェーザレ・マッカリ画『元老院に登壇する盲目のカエクス』(マダーマ宮収蔵、1888年)
マルクス
アッピウス・クラウディウス・サビヌス・インレギッレンシス, アッティウス・クラウスス。紀元前495年の執政官[2]
アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス・サビヌス, 紀元前471年の執政官, 紀元前451年からの十人委員会[3]
アッピウス・クラウディウス・クラッスス (紀元前424年の執政武官)
プブリウス
アッピウス・クラウディウス・クラッスス (紀元前403年の執政武官)[5]
ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス・サビヌス, 紀元前460年の執政官[6]
アッピウス (前471年の執政官もしくは403年の執政武官)
プブリウス
アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス, 紀元前349年の執政官[7]
ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス, 紀元前337年の独裁官[8]
アッピウス・クラウディウス・カエクス, 紀元前307年、296年の執政官。アッピア街道アッピア水道で知られる[9]
アッピウス・クラウディウス・ルッスス, 紀元前268年の執政官[10]
アッピウス・クラウディウス・カウデクス, 紀元前264年の執政官[11]
ガイウス・クラウディウス・ケント, 紀元前240年の執政官[12]
プブリウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前249年の執政官)[13]
プルケル家プルケルらによって紀元前110年頃に鋳造されたデナリウス銀貨
プブリウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前249年の執政官)[13]
アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前212年の執政官)[14]