クラウディア・カルディナーレ
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Claudia Cardinale
クラウディア・カルディナーレ
1960年代宣材写真
本名Claude Josephine Rose Cardinale
生年月日 (1938-04-15) 1938年4月15日(86歳)
出生地 フランス保護領チュニジア チュニス
国籍 イタリア
職業女優
配偶者フランコ・クリスタルディ (1966-75)
パスクァーレ・スキティエリ
主な作品
若者のすべて』(1960年)
8 1/2』(1963年)
山猫』(1963年)
ブーベの恋人』(1963年)
ウエスタン』(1968年)
フィツカラルド』(1982年)

 受賞
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
1993年
ベルリン国際映画祭
金熊名誉賞
2002年
その他の賞

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クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale, 1938年4月15日 - )は、イタリア人の両親のもと、フランス保護領時代のチュニジアに生まれたイタリア女優である。愛称はCC。
来歴

母語はフランス語で、イタリア語は18歳になるまで話すことがなかった[1]。1957年、チュニジアで開かれた美人コンテストで優勝したことがきっかけで映画界入りした。

フェデリコ・フェリーニ監督やルキノ・ヴィスコンティ監督の作品が代表作。1960年代にはフランスのブリジット・バルドー(BB)、アメリカのマリリン・モンロー(MM)らと並び、イタリアのCC(Claudia Cardinale)としてセクシー女優としても人気を誇っていた。

米国アカデミー賞で、第37回にプレゼンター(スティーブ・マックイーン録音賞)、第42回にリレー式の司会とプレゼンター(クリント・イーストウッド外国語映画賞ジェームズ・アール・ジョーンズ編集賞)を務めた。

2002年イタリア共和国功労勲章(グランデ・ウッフィチャーレ)を受章する。

2013年には「大阪ヨーロッパ映画祭」の名誉委員長を務めるなど、複数回日本を訪れている[2]
プライベート鞄を持った女 (1961年)1963年

1966年に映画プロデューサーのフランコ・クリスタルディと結婚するが1975年に離婚。現在、ユネスコ親善大使にも就任し、教育を通した女性の権利保護活動を進めている。子供が2人おり[3][4]、1975年以来、映画監督のパスクァーレ・スキティエリと暮らしている[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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