クラウス・シュルツェ
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クラウス・シュルツェ
2009年撮影
基本情報
別名リヒャルト・ヴァーンフリート(Richard Wahnfried)
生誕 (1947-08-04) 1947年8月4日
出身地 ドイツ連邦共和国 西ベルリン
死没2022年4月26日(2022-04-26)(74歳)
ジャンル電子音楽アンビエント、コズミック、トランス
職業ミュージシャンプロデューサー
担当楽器キーボード、シンセサイザー、シーケンサー、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、ボーカル
共同作業者タンジェリン・ドリーム
アシュ・ラ・テンペル
コズミック・ジョーカーズ
ゴー(ツトム・ヤマシタ)
リサ・ジェラルド
ほか
公式サイト ⇒公式サイト

クラウス・シュルツェ(Klaus Schulze、1947年8月4日 - 2022年4月26日[1])は、ドイツベルリン出身の作曲家。リヒャルト・ヴァーンフリートという別名義も使用している。

主にシンセサイザーシーケンサーを使用したミニマルかつ大作的な楽曲で知られる。分類的にはプログレッシブ・ロックの延長線上の電子音楽クラウトロックとも見なされるが、後のテクノ(「テクノポップ」ではなく)やエレクトロニカ、アンビエント・ミュージック(環境音楽)、1988年発表の『エン・トランス』はトランスの起源にもなった。
来歴

初期にはタンジェリン・ドリーム1969年 - 1970年)やアシュ・ラ・テンペル1970年 - 1971年)のデビュー作品にドラマーとして参加していたが、アルバム『イルリヒト』でソロ・デビュー。これと二作目の『サイボーグ』は、オルガン、および電気的な変調を駆使しつつオーケストラのストリングスを単音で延々と鳴らし続けさせるという変則的な曲調で、一曲あたりの時間が非常に長い大作志向であることを除いて後の作品とは一線を画している。三作目『ブラックダンス』、あるいは『ピクチャー・ミュージック』以降はシンセサイザーをメインに据えたスタイルに転向、以後は、30年以上に渡ってソロ活動を続け、多くの作品を発表し、初期のシンセサイザー音楽電子音楽パイオニアの一人と見なされている。また、ソロ作品では本名以外に、リヒャルト・ヴァーンフリード(Richard Wahnfried)またはヴァーンフリード(Wahnfried)という違う名も用いて、普段とは全く異なる方向性の電子音楽の制作を行っていたこともある。

1978年レーベルのイノベーティブ・コミュニケーションズ(ドイツ語版)を設立し[2]、Ideal、ロベルト・シュレーダー、DIN A Testbild、などをプロデュースした。1979年、彼は第2スタジオとビデオスタジオを設立。その後、アーサー・ブラウンと2ヶ月間のヨーロッパツアーを行った。1980年のコンサートは否定的な報道を受けたが、そうすることで、彼は製鉄所でのライブ録音された工場の音で独自の音楽を構築した。レコード、Dig Itは、史上初の完全デジタルプロデュースアルバムで、同年にリリースされた。これは1981年に音楽雑誌「ステレオプレイ」によって「史上最高のクラウス・シュルツ・アルバム」と評価され、現代のシンセサイザー・プロダクションのリファレンス・レコーディングには「今月のLP」と評価された。

ソロ・アルバムにおいては、ディレイ(エフェクター)を伴うシンセサイザーシークエンス・パターンを基本に、ストリングスや宇宙的なイメージの効果音がしばしば多用され、即興的なシンセサイザーのソロ・パートが重なっていくというタイプのミニマル・ミュージック的な楽曲が特徴であり、一つの独自なスタイルを確立している。ただしすべてシンセサイザーのみで構成された作品は意外に少なく、他の奏者による生楽器やドラムなどの人力による演奏との共演が多いことも特徴。この点ではタンジェリン・ドリームと共通点があるが、タンジェリンの方がよりミニマル色が強く、シュルツェは(ワーグナーからの影響を指摘されるように)古典派の影響を受けた重厚で壮大な「楽曲」としての側面が強い。病からの再起後。リサ・ジェラルドと共演(2009年)

2005年には病気で倒れ、一時は生死の境をさまようほどの事態となったが完治。2007年から音楽活動に復帰し、2010年には来日公演を開催している。

晩年にはまた闘病生活を送り、2022年4月26日に74歳で病没した[3]
補足備考

過去、日本では「クラウス・シュルツ」という表記が一般的であった。

他アーティストとのコラボレーション活動としては、ピート・ナムルックと共に制作した『The Dark Side Of The Moog』シリーズやツトム・ヤマシタの『ゴー』、自身のアルバム(例えば『イン・ブルー』など)でのマニュエル・ゲッチングハラルド・グロスコフとの共演等が挙げられる。

また、日本の作曲家である喜多郎1975年ヨーロッパでシュルツェと出会い、その元でシンセサイザーについて学んだ。喜多郎が当時に所属していたバンド「ファー・イースト・ファミリー・バンド」のレコーディングのプロデュースをシュルツェが行なっていたという関係がある。
ディスコグラフィ
ソロアルバム

『イルリヒト』 - Irrlicht (1972年)

『サイボーグ』 - Cyborg (1973年)

『ブラックダンス』 - Blackdance (1974年)

『ピクチャー・ミュージック』 - Picture Music (1975年)

『タイムウィンド』 - Timewind (1975年)

『ムーンドーン』 - Moondawn (1976年)

『ボディ・ラヴ』 - Body Love (1977年) ※映画『絶頂人妻 Body Love』の
サウンドトラック

『ミラージュ -蜃気楼-』 - Mirage (1977年)

『ボディ・ラヴ 2』 - Body Love Vol. 2 (1977年)

『エックス』 - X (1978年)

『デューン』 - Dune (1979年)

『ライヴ』 - ...Live... (1980年) ※ライブ・アルバム

『ディグ・イット』 - Dig it (1980年)

『トランスファー』 - Trancefer (1981年)

『オーデンティティー』 - Audentity (1983年)

『ジェンクイェン・ポーランド -ライヴ'83』 - Dziekuje Poland Live 1983 (1983年) ※ライブ・アルバム

『アングスト』 - Angst (1984年) ※映画『Angst』のサウンドトラック

『インター*フェイス』 - Inter*Face (1985年)

『ドリームス』 - Dreams (1986年)

『エン・トランス』 - En=Trance (1988年)

『ミディテラネアン・パッズ』 - Miditerranean Pads (1990年)

『ドレスデン・パフォーマンス』 - The Dresden Performance (1990年) ※ライブ・アルバム

Beyond Recall (1991年)

Royal Festival Hall Vol. 1 (1992年) ※ライブ・アルバム

Royal Festival Hall Vol. 2 (1992年) ※ライブ・アルバム

The Dome Event (1993年) ※ライブ・アルバム

『ドーテの水車小屋』 - Le Moulin de Daudet (1994年) ※フランス映画『ドーデの水車小屋』のサウンドトラック

Goes Classic (1994年)

Totentag (1994年) (オペラ作品)

『ダス・ワグナー・デザスター』 - Das Wagner Desaster - Live (1994年) ※ライブ・アルバム

『イン・ブルー』 - In Blue (1995年)

『アー・ユー・シークェンスト?』 - Are You Sequenced? (1996年)

『ドスブルグ・オンライン』 - Dosburg Online (1997年)

『バレエ1』 - Ballett 1 (2000年)

『バレエ2』 - Ballett 2 (2000年)

『バレエ3』 - Ballett 3 (2000年)

『バレエ4』 - Ballett 4 (2000年)

The Crime of Suspense (2000年)

『ライブ・アット・クラングアート』 - Live @ KlangArt (2001年) ※ライブ・アルバム

『ムーンレイク』 - Moonlake (2005年)

『コンティヌーム』 - Kontinuum (2007年)

『ビッグ・イン・ジャパン - ライヴ・イン東京 2010』 - Big in Japan: Live in Tokyo 2010 (2010年) ※ライブ・アルバム

『シャドウランズ』 - Shadowlands (2013年)

Stars Are Burning (2014年) ※ライブ・アルバム


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