クライド・トンボー
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クライド・トンボー

生誕1906年2月4日
アメリカ合衆国 イリノイ州 ラサール郡 ストリーター
死没 (1997-01-17) 1997年1月17日(90歳没)
アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 ラスクルーセス
国籍 アメリカ合衆国
研究分野天文学
研究機関ローウェル天文台
出身校カンザス大学
主な業績冥王星の発見
プロジェクト:人物伝
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発見した準惑星
(134340) 冥王星1930年2月18日

発見した小惑星
(2839) アネット1929年10月5日
(2941) オールデン1930年12月24日
(3310) パッツィ1931年10月9日
(3583) バーデット1929年10月5日
(3754) キャスリーン1931年3月16日
(3775) エレン・ベス1931年10月6日
(3824) ブレンダリー1929年10月5日
(4510) ショーナ1930年12月13日
(4755) ニッキー1931年10月6日
(5701) バルタック1929年10月26日
(6618) ジムシモンズ1936年9月16日
(7101) ハリティーナ
(7150) マッケラー1929年10月11日
(8778) 1931 TD31931年10月10日

クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh, 1906年2月4日 - 1997年1月17日)は、アメリカ天文学者1930年冥王星を発見した業績で特に知られている。
生涯

トンボーは、イリノイ州のストリーターで生まれた[1]。高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが、そこで農場がで壊滅し、大学進学を諦めざるを得なかった[1]。彼は独学で学問を続け、1926年には初めて天体望遠鏡を自作した。その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いた[1]

これらの望遠鏡で観察した火星木星の記録を、アリゾナ州フラッグスタッフローウェル天文台に送ったところ、その力量が認められ、天文台に雇われることとなった[1]

1930年2月18日に冥王星を発見した。(後述)

1932年にはカンザス大学に入学。1936年に学士号、1939年に修士号を取得した後、再びローウェル天文台に戻った[1]

第二次世界大戦中の1943年から1945年にかけて、アリゾナ州立大学アメリカ海軍航法を教えた[1]

戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は、1946年からニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場で9年間働いた後、1955年から1973年に引退するまで、ニューメキシコ州ラスクルーセスのニューメキシコ州立大学(英語版)で教員を務めた[1]


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