クライストチャーチ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ニュージーランドの都市について説明しています。その他の用法については「クライストチャーチ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

クライストチャーチ
Christchurch


市旗市章

位置

クライストチャーチの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}クライストチャーチ (クライストチャーチ中心部)クライストチャーチ中心部の地図を表示クライストチャーチ (クライストチャーチ)クライストチャーチの地図を表示クライストチャーチ (ニュージーランド)ニュージーランドの地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯43度31分48秒 東経172度37分13秒 / 南緯43.53000度 東経172.62028度 / -43.53000; 172.62028
行政
ニュージーランド
 広域自治体カンタベリー
 地域自治体Christchurch City
 市クライストチャーチ
地理
面積 
  市域1,426 km2
  市街地452 km2 (174.5 mi2)
人口
人口(2018年現在)
  市域388,400人
その他
等時帯NZST (UTC+12)
夏時間NZDT (UTC+13)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.ccc.govt.nz/

クライストチャーチ(英語: Christchurch、マオリ語: ?tautahi)は、ニュージーランド南島中部、カンタベリー平野東海岸側に位置する。人口は、388,400人(2018年)。南島の中心的な都市である。
概要

市名は1848年に設立された移民団組織カンタベリー協会を率いたアイルランド出身の政治家ジョン・ロバート・ゴドリーの出身校であるオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに由来する。カンタベリー協会はイングランド国教会によって立ち上げられた経緯があり、総本山のある宗教都市カンタベリーをモデルとして街づくりが行われた。

街の中心にクライストチャーチ大聖堂があり、周囲に広場が配置されている。街の中心部にはヴィクトリア時代の建物が多く残り“イングランド以外で最もイングランドらしい街”と称される。市内には740を超える公園が設置され「ガーデンシティ(庭の街)」と呼ばれる。市街地は平坦で「碁盤の目」のような規則正しい街路が敷かれている。
歴史

マオリ族の伝説によれば、1250年頃、ニュージーランドに生息した巨大な鳥モアを追いかけ、北島東海岸から先住民族が南島に移って来たという。言い伝えによれば、16世紀に「ワイタハ」という部族がモアを追いかけてクライストチャーチ付近に移り住み、その後いくつもの部族が入れ代わり「ンガティ マオエ」「ンガイ タフ」という部族が定住し、ヨーロッパ人の入植が始まる1830年代までこの地で生活していたと言われる。部族の定住生活の考古学的な証拠が1876年にクライストチャーチ市内レッドクリフの洞窟から発見されている。

1830年代にはヨーロッパの捕鯨業者が海岸に港を整備して捕鯨船の補給地としていたが、本格的な入植は1840年にイギリス政府とマオリ族の間で締結されたワイタンギ条約以後である。この条約によりニュージーランドは事実上イギリスの植民地となった。1850年にカンタベリー協会が集めた移民団792人が4隻の船に乗って捕鯨基地のあったリトルトンに上陸し、街造りが開始された。入植者の多くが、英国オックスフォード大学・クライストチャーチカレッジの出身者であったことから、街はクライストチャーチと命名された。英国人建築家のベンジャミン・マウントフォート設計によるネオ・ゴシック建築の建物が市内中心部に建造された。1856年7月31日に英国国王の勅許状によりクライストチャーチはニュージーランドで最初の「」となった。1853年から1876年までカンタベリー州の州都であった(現在州制度は廃止され地方議会制へ移行したが、スポーツ競技では現在も州名を使用する競技がある)。

20世紀初頭にイギリスの探検家ロバート・スコットや、アイルランドの探検家アーネスト・シャクルトン南極探検へ向かう拠点とした。リトルトン港は南極基地へ物資を輸送する拠点港として、クライストチャーチ国際空港は、王立ニュージーランド空挺団、アメリカ合衆国南極プログラム(USAP)の拠点空港として業務を担当している。同空港に隣接する「国際南極センター」は南極調査資料の展示と体感施設を兼ね備えた施設としての他、ニュージーランド、アメリカ、イタリアの南極観測隊活動拠点地として業務を担当している。クライストチャーチ病院は南極基地からの急病患者を搬送する拠点医療機関に指定されている。カンタベリー大学は「国際南極大学(IAI)」協力校として、大学院修士・博士課程に南極学プログラムを設置している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef