クライストチャーチ大聖堂_(ダブリン)
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クライストチャーチ大聖堂 (ダブリン)
聖三位一体大聖堂


.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度20分35秒 西経06度16分17秒 / 北緯53.34306度 西経6.27139度 / 53.34306; -6.27139座標: 北緯53度20分35秒 西経06度16分17秒 / 北緯53.34306度 西経6.27139度 / 53.34306; -6.27139
所在地ダブリン
アイルランド
教派聖公会
ウェブサイト ⇒cccdub.ie
歴史
守護聖人三位一体
建築物
様式ゴシック建築
完成1038年
管轄
主教区ダブリンおよびグレンダーロッホ連合主教区
教会管区ダブリン管区
関係平信徒
オルガニスト兼
音楽監督ジュディー・マーティン
オルガニストトリスタン・ラッシャー
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クライストチャーチ大聖堂(: Christ Church Cathedral)は、アイルランド首都ダブリンにあるキリスト教大聖堂。ダブリンに2つある中世の大聖堂のうちの古いほうで、もう一方は聖パトリック大聖堂である。

正式にはアイルランド国教会ローマ・カトリック双方の主教座(司教座)ということになっていたが、カトリックは宗教改革以降はこの大聖堂に司教座を置くことができなくなっているため、マールボロ通りにある聖マリア臨時司教座聖堂を代替としている[1]

クライストチャーチ大聖堂は中世のダブリンにおける初期の中心地、ウッドクウェー (en) の隣、デームストリート(en。名前は我らがマリア様〈Our Lady〉を表すノルマンフレンチから取られている)の終わりに位置している。しかしながら二重車道を建設する計画でかつて大聖堂を囲むようにあった中世からの通りの形は変わり、さらに元々の、迷路のように入り組んだ小さな建物と通りの中心にあるという構造は古い居住地域の取り壊しと道路建設とによって失われた。その結果、大聖堂は中世の構造から移り変わった波止場にそって存在する新しいオフィス街の陰に隠れ、孤立しているような状態となっている。なお、クライストチャーチは3つある大聖堂と臨時司教座聖堂のうち唯一、リフィー川からはっきりと見える。
歴史
最初のクライストチャーチ

最初の大聖堂は1038年に当時ダブリンを治めていたデンマーク系ヴァイキングの王であるシトリック・シルケンベアード (Sitric Silkenbeard) が最初のダブリン司教であるドナート (Donat)、もしくはドナー (Donagh) と呼ばれる人物のために建造したことにさかのぼる。その当時のダブリン司教区は周りを巨大なグレンダーロッホ司教区に囲まれる小さな司教区であり、カンタベリーに依存している状態であった。

教会はウッドクウェーのヴァイキング入植地を見渡す高地に立てられ、シトリックはそれの維持管理のためにバルドイル (en)、ラセニー (en)、ポートレーン (en)の土地を与えた。[2]当時4つの古いケルト系キリスト教の教会がダブリン周辺に存在していたと考えられ、聖マルティヌスに捧げられたひとつだけはヴァイキング居留地の壁の内側に位置しており、そのためクライストチャーチは居留地内に2つだけある教会のひとつであった。[2]

ダブリン司教はもともと修道院外の聖職者から選ばれていたが、次の司教はベネディクト会修道士から選ばれ、その後1163年、クライストチャーチは後の聖人であり2代目のダブリン大司教であるロレンス・オトゥール (en) によってArrouaise(アウグスティヌス系修道会のルールを改めたもの)の教義に従う修道分院 (Priory of the Regular Order of Arrosian Canons) に変わった。教会はその後宗教改革まで聖アウグスチノ修道会としてその修道院長によって率いられた。修道院長は教区の聖職者の序列の2位に位置づけられ、1541年に宗教改革に基づく構造改革が行われるまで首席司祭(Dean。大聖堂の長)ではなかった。
教会の建て替え

1171年、ヘンリー2世は大聖堂のクリスマス礼拝に出席し、その年から後、リチャード・ド・クレア(ストロングボウ)やそのほかのアングロ・ノルマン系の大物は、クワイヤ(聖歌隊席)、内陣通路 (choir aisles) および翼廊、地下室、そして聖エドマンド (en) と聖母マリアと聖ロウ (en) の各チャペルの建設で構成されるクライストチャーチの全面的な建て替えの費用を工面した。[3]そして、聖ローレンス・オトゥールのチャペルは1200年代に追加され、現存する多くの身廊は1230年代に造られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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