クトクタイ
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クトクタイ・ハトゥン(モンゴル語: Qutuqtai qatun、生没年不詳)は、イキレス部族長ブトゥ・キュレゲンの孫娘で、モンゴル帝国第4代皇帝モンケの皇后(ハトゥン)。息子にはバルトゥウルン・タシュらがいる。『集史』などのペルシア語史料では???????? ?????(Q?t?qt?? Kh?t?n)、ウィリアム・ルブルックの『旅行記』ではCotota Catenと記される。また、『元史』に記される明里忽都魯皇后と同一人物と見られている[1]
概要

『集史』「コンギラト部族史」によると、クトクタイ・ハトゥンはイキレス部族長ブトゥ・キュレゲンの息子のフルダイ・キュレゲンの娘として生まれたという[2]

『集史』「モンケ・カアン紀」ではクトクタイ・ハトゥンは「[モンケの]最上位のハトゥン」であったと記されており[3]、実際にクトクタイ・ハトゥンが生んだバルトゥ、ウルン・タシュはモンケの嫡子、後継者として扱われていた[4]

モンケが1259年に亡くなった時はまだ存命で、モンゴリアに運ばれてきたモンケの柩を自らのオルドで弔った[5]
ルブルックの旅行記

1254年フランスルイ9世の命によってモンケ・カアンの下に訪れたウィリアム・ルブルックはモンケの妃たちにも面会しており、クトクタイ(コトタ)についても記録を残している。そのあくる日つまり主の御公現の祝日から八日目、その夜明け前に、ネストリウス教の司祭たちは残らず礼拝堂に集まって板をたたきました。そして、荘重な朝課を誦え、祭服をまとって、提香炉と香とを用意しました。司祭たちがその教会の前の中庭で待っているあいだに、コトタ・カテン(Qutuqtai qatun>Cotota Caten)‐カテン(Qatun>Caten)というのは貴族夫人のこと、コトタはその名前です‐という第一夫人が、ほかの幾人かの婦人、自分の生んだ一番年上の息子バルトゥ、他の幼い子供たちといっしょに礼拝堂に入りました。かれらはネストリウス教のしきたりに従って、ひたいを床につけてひれ伏しました。ついで、全部の像に右手で触り、そのたびごとにその手に接吻しました。それがすむと、教会内に列席するもの一人一人にその右手をさし出し与えました。これが、教会に入ったときのネストリウス教徒のしきたりだからです……。 ? ウィリアム・ルブルック、『東方諸国旅行記』[6]

この旅行記では『集史』と同様にクトクタイ(コトタ)がモンケの第1皇后であったこと、バルトゥの母であったこと、ネストリウス派キリスト教を信仰していたことが記されている。
イキレス?馬王家

ノクズ(Nokuz >捏群/ni?qun,????/nuk?z)

昌忠武王ブトゥ・キュレゲン(Butu Kuregen >孛禿/bot?,???? ??????/b?t? g?rk?n)

昌武定王フルダイ・キュレゲン(Huldai Kuregen >鎖児哈/su?erh?,??????? ??????/h?ld?? g?rk?n)

忠靖王ジャクルチン(J?aqur?in Kuregen >札忽児臣/zh?h?erchen)

ユレクテイ(Yurektei >月列台/yuelietai)

トベテイ(Tobetei >脱別台/tu?bietai)


昌忠宣王クリル(Quril Kuregen >忽憐/h?lian)

昌王アシク(A?iq Kuregen >阿失/?sh?)

昌王バラシリ(Bala?iri Kuregen >八剌失里/b?lash?l?)

昌王シーラップ・ドルジ(?irap Dor?i Kuregen >沙藍朶児/sh?landu?er)





クトクタイ・カトン(Qutuqtai Qatun >明里忽都魯/mingl?h?d?ul?,???????? ?????/q?t?qt?? kh?t?n)


デレケイ・キュレゲン(Derekei Kuregen >帖里干/tiel?g?n,????? ??????/d?rkai g?rk?n)

ブカ(Buqa >孛花/bohu?)

ソゲドゥ(Sogedu >唆哥都/su?g?d?u)

ブリルギデイ(Burilgidei >卜里吉歹/b?l?jid?i)





モンケ・カアンの皇后(ハトゥン)

地位名前『集史』『元史』ルブルックの『旅行記』出身部族備考
第1皇后クトクタイ???????? ?????(q?t?qt?? Kh?t?n)明里忽都魯(mingl?h?d?ul?)Cotota Caten
イキレス部バルトゥウルン・タシュの母
第2皇后(1)クタイ????? ?????(q?t?? Kh?t?n)忽台皇后(h?tai)Cotaコンギラト部ルブルックの滞在中に死亡
第2皇后(2)イェスル也速児皇后(y?suer)コンギラト部クタイの妹で、姉の地位を継ぐ
第3皇后(1)オグルトトミシュ????? ?????? (?gh?l t?tm?sh)「キリスト教徒の夫人」オイラト部元はトルイの婚約者
第3皇后(2)チャブイ????? ?????(j?b?n Kh?t?n)出卑皇后(ch?b?i)「若い夫人」オイラト部モンケの南宋親征に扈従した
第4皇后キサ???? ?????(k?s? Kh?t?n)火里差皇后(hu?l?cha)「冷遇されていた夫人」コルラス部オゴデイから与えられた
側室バヤウジン????????(b?y??j?n)バヤウト部シリギの母
側室クイタニ?????(ku?tan?)エルジギン部アスタイの母

[1]
脚注^ a b 宇野1988,4頁
^ 志茂2013,525頁
^ 村岡2013,93頁


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