クセルクセス1世
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クセルクセス1世
???????(kha??y?r??)
諸王の王

在位紀元前485年 - 紀元前465年
戴冠式紀元前485年10月
別号エジプト王(ファラオ

出生紀元前519年

死去紀元前465年

配偶者アメストリス
子女ダレイオス
アルタクセルクセス1世
ティトラウステス
王朝アケメネス朝
父親ダレイオス1世
母親アトッサ
宗教ゾロアスター教
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クセルクセス1世(古代ペルシア語: ??????? - Ha?ay?ra?? - ハシャヤーラシャー, 英語: Xerxes I)は、アケメネス朝ペルシアの王(在位:紀元前486年 - 紀元前465年)。
名称
ハシャヤーラシャーに近い発音

古代ペルシア語: ??????? - Ha?ay?ra?? - ハシャヤーラシャー、ペルシア語: ????????‎ (kha??y?r??)。
クセルクセスに近い発音

古代ギリシア語: Ξ?ρξη? - Xerx?s - クセルクセス。
アハシュエロスに近い発音

ラテン語: Ahasuerus、ヘブライ語: ??????????????‎ - ??a?w?ro? - アハシュエロス。
略歴ナクシェ・ロスタムにあるクセルクセスの墓。

ダレイオス1世アトッサの息子。

クセルクセス1世の在位期間に関しては、紀元前496年 - 紀元前475年ごろではないかとの説もある。これはペルセポリスから出土した銘文に父ダレイオス1世との共同統治期間が示唆されているためである。

バビロニアエジプト地方に起きた反乱を武力鎮圧。
ペルシア戦争期詳細は「ペルシア戦争」を参照

紀元前480年、海・陸の大軍を整えギリシア遠征を企てる。遠征の際、ヘレスポントス海峡に多数の船を並べそれらを縄で連結させた橋を架け、アトス岬に運河をきり開いて遠征軍を進め、アルテミシオンの海戦(Artemision)でギリシア海軍と戦う。この戦いはヘロドトスの『歴史』によればギリシア海軍がやや優勢であったが、後述のテルモピュライの戦いでギリシア連合軍の陸軍が敗北したためギリシア海軍が自主的にサラミスへ撤退した。

同年8月、テルモピュライの戦いでスパルタレオニダス1世を戦死させる。9月アッティカ地方を遠征したが、サラミスの海戦(Salamis)で敗れ、帰国。

紀元前479年8月、マルドニオスの率いる陸軍はプラタイアの戦い(Plataiai)で敗北、敗残海軍はミュカレの戦い(Mykale)で撃滅され、ギリシア軍の反撃に苦しむ。

ギリシア遠征で大打撃を受けたクセルクセスは帰国し、事実上クセルクセスのギリシア遠征は失敗に終わった。その後、ペルシアは大規模なギリシア遠征を行うことも無かったが、ペルシア戦争自体は息子のアルタクセルクセス1世カリアスの和約を結ぶまで継続している。
ペルシア戦争後

帰国後、有名な万国の門(英語版)(クセルクセス門とも)などの大規模な建築事業やユダヤ人の保護政策などを数多く行ったが、これにより国の財政がさらに圧迫され、次第に国力が衰えアケメネス朝の衰退を招くこととなる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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