クイーン・エリザベス2
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「QE2」はこの項目へ転送されています。アメリカの量的金融緩和政策については「量的金融緩和政策」をご覧ください。
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クイーン・エリザベス2
日本の大阪港に寄港した本船(2008年
基本情報
船種クルーズ客船
所有者キュナード・ライン
建造所ジョン・ブラウン・アンド・カンパニー
経歴
発注1964年
起工1965年7月5日
進水1967年9月20日
竣工1969年4月18日
処女航海1969年5月2日
引退2008年
要目
トン数70,327総トン
長さ293.5 m
幅32.03 m
高さ52.2 m
喫水9.87 m
機関方式MAN社製ターボ過給機搭載型9気筒ディーゼル発電機[1]
推進器ディーゼル・エレクトリック方式 2軸推進
9基5枚羽根スクリュー
出力推進モーター2基合計:88,000 kW(119,680 PS
総発電電力: 95,625 kW
速力最大 32.5ノット(約61 km/h)
巡航 28.5ノット(約52 km/h
旅客定員1,778名(客室数:927室)
乗組員1,016名
要目は2007年のもの
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「クイーン・エリザベス2」(クイーンエリザベス ツー、RMS Queen Elizabeth 2もしくはQE2)は、イギリス海運会社であるキュナード・ラインが保有していたクルーズ客船で、20世紀後半を代表する客船である。
概要

キュナード・ラインのフラグシップとして1969年に就航し、最後の大西洋定期横断航路専用客船として使用された。同定期路線からの撤退後はクルーズ船として使用され2008年に引退した。

日本語文献では「クイーン・エリザベス2世号」と記されることもある[2]が、船名はイギリス女王エリザベス2世にちなむものではなく、先代の客船「クイーン・エリザベス」の後継であることによる。そのため、名称は Queen Elizabeth 2 (Two) であってII (The Second) ではないとする説が有力である。しかし、1967年9月29日のジョン・ブラウン造船所の進水式において、臨席したエリザベス女王は"I name this ship Queen Elizabeth the Second. May God bless her and all who sail in her."と宣言し、それがBBCにより放送された[3]

船名の前に冠する「RMS」とは、イギリスとイギリス連邦、イギリスの植民地の民間船で郵便物の輸送に用いられる船につけられる艦船接頭辞「Royal Mail Ship」の略称であり、これを冠することは名誉なこととされる。
船歴フォークランド紛争時に軍の輸送船として徴用され塗装を変えられたクイーン・エリザベス2

1969年に就航したが、1950年代後半の大西洋横断路線へのボーイング707ダグラス DC-8などの大型ジェット旅客機の就航を受けて、「クイーン・メリー」をはじめとする北大西洋定期横断航路の乗客が急激に減り、採算性が低下していたことを受けて、「クイーン・メリー」よりも小さいサイズで作られ、さらにパナマ運河の通過も考慮され幅も32メートルと細く設計された。

しかし、本船の就役に先立ち1967年には先代の「クイーン・メリー」(81,237総トン)が、1968年には先代の「クイーン・エリザベス」(83,673総トン)が退役していたため、就役時の69,053総トンはフランスのジェネラル・トランスアトランティック社「フランス」(1962年就役、66,343総トン)を抜いて世界最大の客船で、2004年に「クイーン・メリー2」が就役するまではキュナード・ラインのフラグシップであった。

サウザンプトンを母港として、主に北大西洋定期横断航路に使用されたが、1970年代に入って同航路が定期横断航路として衰退し、その後撤退したことを受けてしばしば世界一周クルーズを行い、日本にも1975年3月5日神戸港ポートターミナルQ2バースへの初入港以来、何度か寄航している。

1982年に勃発したフォークランド紛争時にはイギリス海軍に徴用され、同海軍の輸送艦として使用された。その際の傭船料は一日225,000ドルであった。収容した兵士の数は3,500名余りであった。フォークランド諸島への兵士の上陸はP&O社の「キャンベラ」に一旦移乗させ同船からの上陸という形をとった。イギリスを代表する客船ということもあり、もし本船がアルゼンチン軍の攻撃により撃沈された際には、国家の威信を傷つけ、イギリス軍の戦意喪失にもつながりかねないことから、あえて戦闘地域には近づかなかった。しかし徴用によって内外装が大きく傷んだことから、その後改修を受けている。紛争直後に日本に寄港した際は、通常見られる白+黒ではなく、白+灰色の若干の低視認性を図った塗装であった。

1987年には動力をすべて蒸気タービンからディーゼル電気推進に換装する大改装を受けた。この際キャビンの増設工事も施工され、総トン数は7万トンを超えた。

数少ない遠洋航海の客船の生き残りで、パナマ運河を通過するため細長い船形であるため、クルーズ船として使うには若干不便な面がある上に、度重なる改装によって船内が雑然としており、老朽化から来る不具合も散見された。遠洋航路時代の伝統から、サービスはモノクラスが基本なクルーズ船にあって、部屋の等級によって利用できるレストランが違うのがサービス面の特徴で、そのため『ベルリッツ・クルーズガイド』では複数のレーティングを保持している。

2008年に客船としては退役し、アラブ首長国連邦ドバイで海上ホテルとして使用されるため、「クイーン・メリー2」を従えた引退航海の後に、ドバイまで回航され係留された。しかし計画は予定通りには進まず、2012年には計画中止の上、売却解体の方針が報じられた。その後、2013年1月には、シンガポールの投資会社が現在の所有者からリースの上、アジア地域で海上ホテルとして活用する計画と報道されていた[4]が、結局2018年4月に当初予定通りドバイにて「クイーン・エリザベス2ホテル」として開業した。オープン初日には同日にドバイに寄港した3代目「クイーン・エリザベス」の乗客がオープニングセレモニーに招待された[5][6]

キュナード・ラインの親会社カーニバルは、2007年10月10日の記者会見で、新たに建造するクルーズ客船に、次代の「クイーンエリザベス」と命名すると発表した。


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