クイーンズランド州
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クイーンズランド州


旗紋章
スローガンおよび愛称: Sunshine State, Smart State
州の標語: "Audax at Fidelis"(勇敢にして敬虔)

他の州と特別地域

州都ブリスベン
政体立憲君主制
総督ジャネット・ヤング(英語版)
首相アナスタシア・パラシェイ(英語版) (オーストラリア労働党)
選挙区
 - 下院議員29
 - 上院議員12
州内総生産 (2010 - 11年[1])
 - 生産高 2516億1600万豪ドル (3位)
 - 一人当たり 5万5414豪ドル/人 (5位)
人口 (2020年9月末[2])
 - 総人口 5,184,847人 (3位)
 - 人口密度 2.90人/km2 (5位)
面積 
 - 総面積 1,851,736 km2 (2位)
 - 陸地1,729,742 km2
 - 水域121,994 km2 (6.59%)
標高 
 - 最高標高バートルフレア山
1,622 m
 - 最低標高
時間帯UTC+10
コード 
 - 郵便番号QLD
 - ISO 3166-2AU-QLD
象徴 
 - 州動物コアラ
 - 州花Cooktown orchid
 - 州鳥オーストラリアヅル
 - 州魚Barrier Reef Anemonefish
 - 州石サファイア
 - 州色マルーン
公式サイト ⇒www.queensland.com
クイーンズランド州の海岸沿いを南北2300`に広がるグレートバリアリーフ。

クイーンズランド州(クイーンズランドしゅう、: Queensland、略号:QLD)は、オーストラリア連邦北東部の州。州都ブリスベン。オーストラリアの州の中では西オーストラリア州に次いで2番目に面積が大きく、172万7000平方キロメートルで豪州全体の22.5%、日本の約5倍[3]。3番目に人口が多い州であり、人口は518万人(2020年9月推計)[4]。天然資源に恵まれ、特に石炭の輸出量が多く[5]、他に牛肉等の一次産品、観光業、教育産業が州の主要産業であり、州の貿易相手国としては日本が輸出入の両方においても上位3位[6]。1980年代後半、1990年代、日本からの不動産、観光部門への投資がなされ、日本企業は観光インフラ整備に貢献した実績もある。2019年までは観光目的で日本からの渡航者が年間22万人を推移していた。

州内には世界自然遺産に登録された場所が5か所あり、日本でも有名な世界最大のサンゴ礁群であるグレートバリアリーフはその一つ。他に、一部が1億3000万年前に遡る世界最古と呼ばれる森、「クイーンズランド湿潤熱地域」、世界最大の砂でできた島「フレーザー島」、隣のニューサウスウェールズ州をまたぐ「オーストラリア・ゴンドワナ多雨林」と、内陸部に広がるオーストラリア化石哺乳類遺跡が地面で状態良く保存された「リバースレー」もある[7]。 
歴史詳細は「クイーンズランドの歴史(英語版)」を参照
先住民

凡そ5?6万年前に、先住民の人々は船や陸伝いにオーストラリア大陸に渡ってきたとみられる、最も可能性が高いのは、東南アジアからトレス海峡を渡ってきたルート。その後、1万年の間に、先住民はオーストラリア大陸のほとんどの地域へと移動した。[8]

2万5千年前頃に地球の温度が急激に8度も低下する氷河期による気候変動は1万年以上続いた。これにより、東南アジアとタスマニアとの陸続きがなくなり、同時に食料の確保が困難になったため、種を挽く技術が生まれた。約1万5千年前、地球の気温が上昇し、オーストラリア大陸の東海岸では降雨量が増加し、現在のクイーンズランド州の内陸部にも再び人が住めるようになった。その後海水面が上昇して沿岸部の土地が減り、熱帯雨林が広がった。ちなみに、内陸部のセントラル・ガルフ地域のカルカドン族は、深さ10mの井戸を掘って淡水を確保していた。[8]

1万年前からヨーロッパ人が入植する18世紀までの間、温暖な気候が続いたため、北部の熱帯雨林、西部の奥地、モートン湾周辺に集落が次々と出来た。ケアンズ付近のバロン川沿いやモートン湾の島々では、30人から40人ほどが暮らせる大きな小屋(ジムルル)が住居として建てられていた。[8]

ヨーロッパ人が入植する前の現在のクイーンズランド州に住んでいた先住民の人口は不明であるが、20万?50万人の間だと予測されている。天然痘などの流行時には人口が減少した可能性もある。当時クイーンズランド州に住む先住民の人口はオーストラリア全土のおおよそ35?39%であったと推測される。[9] 一方、オーストラリア大陸の600?700の先住民部族の多くがクイーンズランド州に住んでいたと考えられ、90の言語グループが存在していた、オーストラリア大陸では最も人口密度の高い地域だった。[8]
ヨーロッパ人の渡来
開拓時代

クイーンズランドは元来、ニューサウスウェールズの一部で、1824年にモアトン湾流刑植民地が設置された。囚人流刑は1839年に停止され、1842年から自由入植が認められた。1859年にニューサウスウェールズから分離してクイーンズランド植民地が成立し、1901年のオーストラリア連邦成立とともに州に昇格した。
戦前

1909年ブリスベン近郊に州最古のクイーンズランド大学が設立された。第二次世界大戦中は州沿岸海域でオーストラリア船がしばしば日本潜水艦に撃沈され、1942年7月には州北東部のタウンズビルなどが日本軍の空襲を受けた。
戦後

1948年には、鉄道の作業場や車庫で働く労働者の賃金をめぐる9週間に及ぶ「クイーンズランド鉄道ストライキ」が起こった。1952年は、州唯一の捕鯨基地がタンガルーマに開設されたが、10年後に閉鎖。1956年は、クイーンズランド州の毛刈り労働者が賃金をめぐって1月から10月まで休業した「毛刈り労働者ストライキ」が発生。1962年にムーニーでクイーンズランド州とオーストラリアで初めて石油の商業生産が始まった。その後、オーストラリア初の長距離石油パイプラインが設置され、ブリスベン川河口近くに新設されたリットン製油所の191マイル(307km)まで原油を運んだ。海岸でのサメの襲撃を減らすため、ドラムラインのプログラムも1962年に始まった。1968年にジョン・ビエルケ=ピーターセンが州首相に選出され、同氏は19年間同じ職務を務めた。1969年、ローマのガス田とブリスベンを結ぶクイーンズランド州およびオーストラリア初の天然ガスパイプラインが稼動した。
1970年代

1971年に南アフリカのラグビー代表チーム「スプリングボクス」による遠征に対する抗議が高まり、ビエルケ=ピーターセンが非常事態を宣言した。


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