クイーンズライク
[Wikipedia|▼Menu]

クイーンズライク
Queensryche
クイーンズライクとジェームズ・ジンボ・バートン
(2012年 ロンドン・ブリッジ・スタジオにて)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
ワシントン州 ベルビュー
ジャンルヘヴィメタル[1]
プログレッシブ・メタル[1]
ハードロック[1]
パワーメタル(初期)[1]
活動期間1982年 - 現在
レーベル206 Records、EMIアトランティックサンクチュアリライノロードランナーセンチュリー・メディア
公式サイト ⇒Queensryche Official Website

メンバートッド・ラ・トゥーレ (ボーカル)
マイケル・ウィルトン (ギター)
パーカー・ラングレン (ギター)
エディ・ジャクソン (ベース)
スコット・ロッケンフィールド (ドラム)

旧メンバージェフ・テイト (ボーカル)
クリス・デガーモ (ギター)
ケリー・グレイ (ギター)
マイク・ストーン (ギター)

クイーンズライク (Queensryche [?kwi?nzra?k])[注釈 1]は、アメリカ合衆国出身のプログレッシブ・メタルバンド

クイーンズライクは、アメリカ国内で600万枚、世界中で2000万枚のアルバムセールスを誇る、プログレッシブ・シーンで成功したバンドのひとつである。目次

1 来歴

1.1 ザ・モブからクイーンズライクへ (1980年代初期)

1.2 『ザ・ウォーニング (警告)』『炎の伝説』 (1984年-1987年)

1.3 『オペレーション:マインドクライム』『エンパイア』『約束の地 - プロミスト・ランド -』 (1988年-1996年)

1.4 クリス・デガーモ脱退とバンドの変遷 (1997年-2002年)

1.5 『トライブ』 (2003年)

1.6 『オペレーション:マインドクライムII』 (2004年-2006年)

1.7 『アメリカン・ソルジャー』『デディケイティッド・トゥー・ケイオス』 (2007年-2011年)

1.8 ジェフ・テイトとクイーンズライクの分裂 (2012年-2014年)

1.9 『コンディション・ヒューマン』 (2015年-2016年)

1.10 『評決』 (2017年-現在)


2 メンバー

2.1 現ラインナップ

2.2 ツアー・メンバー

2.3 旧メンバー


3 タイムライン

4 日本公演

5 ディスコグラフィ

5.1 スタジオ・アルバム

5.2 EP

5.3 ライブ・アルバム

5.4 コンピレーション・アルバム

5.5 ライブ・ビデオ


6 脚注・出典

6.1 注釈

6.2 出典


7 外部リンク

来歴
ザ・モブからクイーンズライクへ (1980年代初期)

少年期にベースを演奏していたマイケル・ウィルトン (Michael Wilton)は、ハイスクールに進むとギターに転向した。1970年代後半には、ハイスクールで出会い友人となったギタリストのクリス・デガーモ (Chris DeGarmo)とともに「Joker」というバンドを結成し、地元のショーやイベントで演奏するなどしていた。ハイスクール卒業後、クラシックジャズなどを学ぶためにシアトルの音楽学校コーニッシュへと進んだマイケル・ウィルトンは、その2年の在学期間中にベーシストのエディ・ジャクソン (Eddie Jackson)、ドラマーのスコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield)と出会い、1981年、それぞれ別のバンドに在籍していた4人が集結して「ザ・モブ (The Mob)」を結成した。

ザ・モブは、ジャムセッションなどをしながらボーカルを持たずに活動していたが、地元のバンドバトル・イベントに出場するためにシンガーを探すことを決意。当時地元で「Babylon」というバンドで活動していたジェフ・テイト (Geoff Tate)に助っ人を依頼し、イベントを乗り切った。しかしジェフ・テイトはその頃まだコピーバンドだったザ・モブに正式に加わることは拒否した[2]

1981年デモをリリースすることを決めたザ・モブの4人は、オリジナル曲を作成し、4人で資金を出し合い、レコーディングスタジオを押さえレコーディングに入った。しかしその時もまだシンガーがいなかったため、バンドは再びジェフ・テイトに協力を依頼した。バンドは「Queen of the Reich」「Nightrider」「Blinded」「The Lady Wore Black」の4曲をレコーディング。ジェフ・テイトは、そのときまだ詩のなかった「The Lady Wore Black」の作詞も担当した。しかし当時、「Myth」という自分のバンドで活動していたジェフ・テイトには、このときもやはりザ・モブに正式加入する意思はなかった[2]

地元のレコードショップ「Easy Street Records」のオーナーであったキム・ハリス、ダイアナ・ハリス夫妻が、そのデモを『ケラング!』誌に送ったところ非常に高く評価され、夫妻が立ち上げたレーベル「206 Records」からそのデモをEPとしてリリースすることになった。このとき、ザ・モブというバンド名が権利の関係で使用できないことがわかったため、バンドはクリス・デガーモのペンによるEPのオープニング曲「Queen Of The Reich」にちなみ、バンド名をクイーンズライクとした。1983年にリリースされたEPは、アメリカのバンドでありながらアイアン・メイデンなどイギリスやヨーロッパのバンドに通じるものを感じさせるその音楽性が評判となり、イギリスやヨーロッパをはじめ世界的に賞賛を持って迎えられ、そしてその後バンドは「EMI」との契約をつかんだ。またこうした成功の中ジェフ・テイトはクイーンズライクに正式に加入することを決心し、ここでついにその後長く続くラインナップが完成されることとなった[2][3][4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:88 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef