クイズ100人に聞きました
ジャンルクイズ番組
構成日野原幼紀、福岡秀広
植竹公和、高橋秀樹
零弘幸、大倉利晴
池田裕幾、村田松葉 他
ディレクター森勲、加藤嘉一
伊佐野英樹、小玉滋彦
熊谷信也、吉橋隆雄 他
司会者関口宏
ナレーター橋本テツヤ
(屋根裏のアナウンサー)
音楽服部克久、安川宙志
製作
プロデューサー森勲、三角英一
岩原貞雄
製作TBS(製作著作)
放送
放送国・地域 日本
1979年4月から1984年9月まで
放送期間1979年4月2日 - 1984年9月24日
放送時間月曜日 19:00 - 19:30
放送分30分
1984年10月から1987年9月まで
放送期間1984年10月1日 - 1987年9月28日
放送時間月曜日 19:20 - 20:00
放送分40分
1987年10月から1992年9月まで
放送期間1987年10月5日 - 1992年9月28日
放送時間月曜日 19:00 - 19:30
放送分30分
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『クイズ 100人に聞きました』(クイズ ひゃくにんにききました)は、1979年4月2日から1992年9月28日までTBS系列で毎週月曜日の19:00 - 19:30(JST[注 1])に放送されていたクイズ番組である。司会は関口宏。2003年2月3日から2009年1月26日までCS放送のTBSチャンネルにて再放送されていた。 一般人100人に対して行ったアンケートを設問とし、その結果を推測して回答するという独自形式のクイズ番組である[1][2]。これはアメリカABCのクイズ番組『ファミリー・フュード』(フリーマントルメディア制作、1976年開始、2021年現在も放送中)がベースとなっている。 当初は1978年4月2日から1979年3月25日まで『家族対抗クイズ合戦』(毎週日曜14:30 - 15:00、一部地域のみ)として放送、これが好評だったため、ゴールデンタイムへ移動・ネット局拡大・番組タイトルを改題して1979年4月2日に本番組(『クイズ 100人に聞きました』)の放送が開始された。番組名こそ変わったが、司会者や番組内容は全く同じである。
概要
放映データ
通常放送
放映期間:1979年4月2日 - 1992年9月28日
放映日:毎週月曜日19:00 - 19:30(1979年4月 - 1984年9月、1987年10月 - 1992年9月)、19:20 - 20:00(1984年10月 - 1987年9月)。全て日本時間。
※1984年10月 - 1987年9月は『JNNニュースコープ』の延長の関係で19:20 - 20:00になっていた)
司会・進行役:関口宏[注 2](放送期間中は無遅刻無欠勤ですべての回に登場。『家族対抗クイズ合戦』時代から通算して14年半。関口はこの番組を機に俳優から本格的な司会業となる)。
ナレーター:橋本テツヤ(通称「屋根裏のアナウンサー」。関口はこれを「屋根裏の中年男」などと揶揄することもあった)。
最高視聴率:30.7%(1979年10月22日放送分)
なお当時、関口は同局で『わくわく動物ランド』の司会も担当しており、TBSで1987年 - 1991年の春・秋(1991年は春のみ)に放送された『クイズまるごと大集合』では関口の他、ビートたけしや大橋巨泉も司会を行っていた(6問あり、1人あたり2問ずつ担当)。それより以前にも1983年と1984年には「スター対抗クイズ番組大集合」においてタモリが司会をしたこともある。
司会スタイル
これまでのクイズ番組の司会者は司会者席に座っての方式が多かったが、関口は司会者席には座らずタイピンマイクを付けてスタジオを回ったりする方式の司会をしていた(その後のクイズ番組やバラエティー番組にも影響を与える)。一時期、関口が出題中に行うひじを付く姿勢が視聴者からクレームを浴びたが、逆にある視聴者からは司会者にも気楽な姿勢でやっている、別にひじを付いても悪くないという声もあったことから、その後定番としてすっかりお馴染みになった。この姿勢は、番組のヒントになったアメリカのクイズ番組(後述)での司会者に倣ってのものとされる。