クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス
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クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス
Quintus Lutatius Q. f. Catulus
出生紀元前150年ごろ
死没紀元前87年
出身階級プレブス
氏族ルタティウス氏族
官職法務官紀元前109年以前)
執政官紀元前102年
前執政官紀元前101年
指揮した戦争キンブリ・テウトニ戦争
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クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス(ラテン語: Quintus Lutatius Catulus、紀元前150年ごろ - 紀元前87年)は、紀元前2世紀後期・紀元前1世紀初期の共和政ローマの政治家・軍人・詩人・歴史家。紀元前102年執政官(コンスル)を務めた。
出自

カトゥルスはプレブス(平民)であるルタティウス氏族の出身。コグノーメン(第三名、家族名)のカトゥルスは子犬を意味する。氏族最初の執政官は紀元前242年の執政官ガイウス・ルタティウス・カトゥルスであり、同名の息子も紀元前220年に執政官を務めた[1]。しかしその後100年以上、氏族から高位官職者は出ていない[2][3]。このため、歴史家F. ミュンツァーは、ノビレス(新貴族)としてのルタティウス氏族は、紀元前2世紀の終わりには没落していたと推察している[4]

にもかかわらず、カトゥルスは当時最も影響力があったパトリキ(貴族)であるセルウィリウス氏族[5] 出身の妻と結婚していることから[6]、ルタティウス氏族がローマ上流階級で一定の重みを持っていたことが分かる[3]。妻の兄弟はカエキリウス・メテッルス家の支持者であったと考えられる[7]

カトゥルスの父のプラエノーメンも同じくクィントゥスであることは分かっているが[8]、カトゥルスがまだ子供のころに死去したようである[4]。未亡人となったカトゥルスの母は、プレブスのポピッリウス氏族の出身であったが[9]、パトリキであるルキウス・ユリウス・カエサルと再婚した[4]。ユリウス氏族は古い氏族ではあるが、紀元前267年ルキウス・ユリウス・リボ以降、執政官となったのは紀元前157年セクストゥス・ユリウス・カエサルのみであった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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