クアウテモク・カルデナス
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカルデナス、第二姓(母方の)はソロルサノです。クアウテモク・カルデナス(2022年)

クアウテモク・カルデナス・ソロルサノ(Cuauhtemoc Cardenas Solorzano、1934年5月1日 -)はメキシコの政治家。メキシコシティの市長が公選制になって最初の市長をつとめた(1997-1999年)。左派の民主革命党(PRD)を組織し、メキシコ大統領に3度立候補したが落選した。
経歴

クアウテモク・カルデナスはメキシコの大統領ラサロ・カルデナスの息子としてメキシコシティに生まれ、大統領官邸のロス・ピノスで育った[1]。1957年にメキシコ国立自治大学土木工学の学位を取って卒業し[2][3][1]、フランスとドイツに留学した[2]。その後は技術者として働いた[1]。1961年に左派政党の国民解放運動 (Movement of National Liberation) に参加した[3]。1960年代にはラサロ・カルデナス鉄鋼会社の理事をつとめた[3]

1970年代に制度的革命党(PRI)に参加した[3]。1976年に連邦議会の上院議員に選出され[1]、農務省の林業次官をつとめた[2][3]。1980年から6年間、父の生まれ故郷であるミチョアカン州知事をつとめた[2][3][1]

1987年に制度的革命党から離れ、1988年に左派の国民民主戦線(FDN)を旗あげして大統領選 (1988 Mexican general election) に出馬した[2][3][1]。政府は選挙の集計を突然中断し、制度的革命党のカルロス・サリナス・デ・ゴルタリが勝利したと発表した[1]。カルデナスは選挙が不透明だと主張し、7月17日に20万人の支持者とともにソカロで抗議集会を開いた[4]。カルデナスは支持者たちとともに民主革命党(PRD)を組織した[3]

大統領に就任したサリナス・デ・ゴルタリは北米自由貿易協定(NAFTA)への参加とエヒードの私有地化のためにメキシコ憲法を改正したが、カルデナスはどちらにも反対した[1]

1994年の選挙 (1994 Mexican general election) でカルデナスはふたたび大統領に立候補したが、ふたたび制度的革命党のエルネスト・セディージョに敗れて3位に終わった[2][3]。しかし民主革命党は議席を増やした[1]
市長


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